おにぎり ころりん すっぽんぽん

29歳で女を辞めて、33歳で社会人を辞めて、34歳でトランスジェンダーを辞めた私。私自身の想像をも盛大に超えて転がって行く私の人生。そんな中、パートナーの茉優を筆頭に、様々な他人を通して出会う私の闇たち。彼らに光を当てるように書いていけたらと思います。

感情を新鮮なうちに出せるということ

つい先日

 

茉優が知らず知らずのうちに諦めていた夢

 

が判明した

 

 

それは先生になること

 

 

 

でも実は

 

もうずっと茉優は先生だった

 

とわたしは思った

 

 

 

茉優が茉優らしく生きていること

 

それこそが

 

先を生きてわたしを導く存在だったから

 

 

自分の感情を何よりも大切にして

 

火山や台風や地震のように

 

善も悪もないけど

 

どこか人から嫌われてしまいがちな感情ですら

 

宝物のように

 

愛おしむ姿

 

 

 

子供のように

 

感情を

 

鮮度ピチピチのまま

 

瞬間瞬間解き放てる潔さ

 

軽快さ

 

 

 

それができるからこその

 

茉優自身の通気性の良さ

 

 

中でジメジメしめったり

 

ドロドロ腐ったり

 

そういうのがないからこそ

 

 

本当に誰とでも

 

軽やかに

 

愛の状態で関われることが多い

 

 

と見えてる

 

 

 

 

そして

 

だからこそ

 

物事を善悪でジャッジする必要がなく

 

誰かに何かを振りかざすこともない

 

 

 

 

 

 

 

そして、

 

何よりも大きいのが

 

全ての感情を愛おしむというその姿は

 

全ての茉優を愛するという姿勢そのもので

 

 

 

茉優が茉優を責めることがまずないこと

 

つねに

 

褒めるところを見つけている

 

いつも

 

ありがとうと共にいる

 

 

 

 

 

茉優のそんな姿を

 

近くに見ながら

 

わたしは

 

わたしの感情を生き返らせていった

 

 

 

 

 

少しでも進めた時に

 

“これしか進めなかった”と責める代わりに

 

“進めた!”と祝うことも少しはできるようになった

 

 

 

悲しみも

 

涙も

 

怒りも

 

茉優との3年間で

 

それまでの30年分よりずーっとたくさん

 

放出した

 

 

たくさんたくさん茉優に赦されながら

 

 

自ら赦してきた

 

 

 

 

小学校以来

 

ある種の感情を嫌うあまり

 

それらを抹殺しようとして

 

逆に激しい反撃に合ってきたけど

 

 

 

なくすのではなく

 

愛すこと

 

蓋をするのではなく

 

より瞬発的に

 

出すということ

 

 

 

 

ほんとうに

 

ほんとうにたくさん

 

わたしは

 

教えてもらった

 

 

共に生きることで

 

わたしの隣を茉優が生きてくれているということで

 

学んできた

 

 

 

 

ありがとう茉優

 

ありがとう先生

 

 

 

わたしが受け取ったようなものを

 

これまでも

 

たくさんの人が受けとってきたんだろう

 

 

そしてこれからは

 

もっともっとたくさんの人が

 

受け取っていくんだろう

 

 

 

年齢関係なく

 

国籍関係なく

 

性別関係なく

 

 

 

みんなが生徒の

 

地球学校の先生で

 

あり続けていくんだと思う

 

 

(先生というと上下を連想しやすいけれど

 

そういうんじゃないんだよなぁ)

 

 

 

 

 

 

 

専属の先生でいてほしいなぁ

 

という寂しさも

 

ちょっぴりありながら

 

 

 

そんな風に思ってる

 

 

 

 

 

 

 

ああ、

 

なおのことを書こうと思っていたら

 

まゆの話になったな(笑)

 

 

 

 

 

 

 

なおはやっぱりまだ

 

感情に善悪をつけたがるところがあって

 

なおの思う悪の感情を出すことにブレーキがかかる

 

特に茉優以外の人に。

 

 

 

出すことに罪悪感があるから

 

 

 

出せずに

 

くすぶらせ

 

時差で爆発させちゃいがち

 

 

それか

 

ぷっちり関係を断っちゃうか。

 

 

 

 

それから

 

出すことにブレーキがあるから

 

 

出すときに理由を必要とする

 

主に使われるのが

 

相手を敵にして

 

自分の正しさを振りかざすパワー

 

 

正当性という動機付けをしてしまいがち

 

 

 

 

 

それから

 

出すことを責める自分がいるから

 

出し方がゴニョゴニョになって

 

それに対して相手が

 

“なんて言ったの?”と聞こうもんなら

 

 

もういい!

 

 

とすねがち

 

 

 

それからそれから

 

 

自分が出しづらいものを下手なりに一生懸命出してるから

 

 

それに対して

 

相手が冷静さとか丁寧さという鎧を着て

相対してると感じると

 

 

ものすごい反応する

 

 

 

 

その辺は今真っ只中

 

 

。。。

 

 

今は

 

茉優以外の人と暮らすという

 

新しい体験中だから

 

そんなことの嵐(笑)

 

 

 

 

同じように

 

感情を出すことにブロックがある?

 

仲間?カゾク?たちと

 

実践しながら

 

軽くなっていってるところ。

 

 

 

 

 

昨日うわぁって泣いてすねて

(これも、茉優以外に出せたの、

おめでとうなんだ!)

引きこもって

 

ラーメン食べて

 

 

今朝は朝マックして

 

 

今これ書いてる。

 

 

 

 

そしたら、うんこ出た。

 

 

これから帰ってまた△するのかな。

 

 

いや、しよう。

 

 

 

 

いやはや、

 

やりたいことやれてるね。

 

 

今気付いた(笑)

 

 

ついさっきまでは、

 

もうこんなのやだって思ってたのにね!