おにぎり ころりん すっぽんぽん

29歳で女を辞めて、33歳で社会人を辞めて、34歳でトランスジェンダーを辞めた私。私自身の想像をも盛大に超えて転がって行く私の人生。そんな中、パートナーの茉優を筆頭に、様々な他人を通して出会う私の闇たち。彼らに光を当てるように書いていけたらと思います。

ニセ自然

自然に生まれる好きと嫌い

 

自然に任せてはならないと

 

一生懸命一生懸命

 

 言い聞かせてきた

 

その歴史が

 

何層にも積み重なりすぎて

 

その言い聞かせが

 

あまりにも自然のように私の中で幅を効かせすぎて

 

私は

 

そんなニセモノの

“ありのまま”や“自分らしさ”を

 

本物と思い違い続けてきたようだ

 

 

今の今まで

 

そう気付けた今ですら

 

気を抜けば

 

染み付いたニセ自然に飲み込まれていたりする

 

おそるべし長年の積み重ね

 

 

 

ある意味私の凄さでもある

 

こんな風に思える自分でありたい

 

こんな風に思う自分ではダメだ

 

強靭な忍耐力で

 

自然に生まれる私の好き嫌いを

 

たゆまぬ努力で制圧してきた

 

誰にでも出来ることではない

 

 

 

 

 

 

 

どうしてそんなことになったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶんそれは

 

 

みんなに仲間に入れてもらいたかったから

 

 

大好きな人の笑顔が見たかったから

 

 

大好きな人に好かれたかったから

 

 

本当のありのままの私ではソレがかなわないと

思ったから

 

 

 

そんな感じだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

私は怖かった。

 

 

私が私らしくいて、私の周りに誰もいなくなるのが。

 

 

私は怖かった。

 

 

私が幸せになることで、私の大好きな人の顔が曇るのが。

 

 

 

私は怖かった。

 

 

 

私がしたいことすることで、後々痛い目をみるのが。

 

 

 

 

いや、私は今怖い。

 

 

 

私がホンモノの私らしくあることで

 

 

私に起こる全てのことが。

 

 

私は今までほとんど

 

 

本当の自然には身を委ねてこなかったのだから

 

 

私の自然が私に何をもたらすのか

 

 

理屈では、結果的には、いいことらしいけど

 

 

恐ろしく怖い

 

 

 

 

ああ、今までは

 

 

微妙な匙加減で

 

 

自然に委ねるふりをしながら

 

 

こっそりコントロールし続けてきたんだなぁ

 

 

だって怖くなかったもん

 

 

そんなには

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の記憶では中学校の頃から

 

 

でもきっと小学生の頃から

 

 

 私は

 

 

 

相手がどう感じるか

 

 

を何よりも大切に生きてきた

 

 

苦しい時だって

 

 

相手の笑顔をみると

 

 

 

私は嬉しくなるんだから

 

 

 

相手から好かれたら

 

 

 

私はいい気持ちになるんだから

 

 

 

ソレは結局私の為じゃんって

 

 

 

なんべんもなんべんも言い聞かせた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日気付いたんだ

 

 

相手がどう感じるかを1番に大切にしていたら

 

 

私がどう感じるかは1番に大切にはされないって。

 

 

 

 

たまたま、その2つが一致する時ならいいけど。

 

私は私のありのままを追い求め出してからは、

 

いつも

その2つが一致することを

懸命に追い求めていたように思う。

 

 

 

誰かの望みに反する私のありのまま、

 

 

誰かを傷付ける私の本当の思い、

 

 

誰かを悲しませる私のやりたいこと、

 

 

 

ソレらはおそらくいつも、

 

私に気付かれることなく、

 

私の中にしまい込まれてきた。

 

 

 

 

なんて巧妙だったのだろう。

 

 

 

 

 

 

本当に気を付けて意識していないと、

 

ふらふらふらぁっと

 

私は

 

相手がどう感じているのか

 

どう感じるのか

 

に耳を傾けている。

 

 

 

まず、

 

 

まず、

 

 

 

まず、

 

 

 

 

わたしが、

 

 

 

どう感じているか

 

 

 

どう感じるのか

 

 

 

 

何がしたいのか

 

 

 

 

何がしたくないのか

 

 

 

 

聞いてあげようよ。

 

 

 

 

もういい加減。

 

 

 

 

誰かがどう感じるのかは、その誰かの担当。

 

 

私がどう感じるのかを担当できるのは、

私しかいないのだから。

 

 

私が担当をすっぽかして

ほったらかしておくから

 

 

“私”は不満になる

 

“私”は怒る

 

 

 

 

 

いつでも

 

忘れても気付いたその瞬間から

 

 

耳かっぽじって

 

 

よく聞いて。

 

 

 

 

 

わたしの声を。

 

 

 

 

 

その時感じてしまう罪悪感のことは、またそのうち。