おにぎり ころりん すっぽんぽん

29歳で女を辞めて、33歳で社会人を辞めて、34歳でトランスジェンダーを辞めた私。私自身の想像をも盛大に超えて転がって行く私の人生。そんな中、パートナーの茉優を筆頭に、様々な他人を通して出会う私の闇たち。彼らに光を当てるように書いていけたらと思います。

露わになった固定観念

今回の事件を通して。

 

 

 

ものすごく私の感情が動いた分だけ、

 

 

 

 

私がどういう思考の癖を持った人間か、

 

 

 

 

 

私の本質が行きたい道をどの色眼鏡が邪魔しているのか、

 

 

 

 

 

 

より多く、より強く、見えてきた。

 

 

 

 

たくさんたくさん痛かった分だけ、

 

 

 

 

思う存分に“私のための気付き”を

 

 

 

 

 

片っ端から回収してやる!!!!

 

 

 

 

 

という意気込みである。

 

 

 

 

 

 

気を抜くと、私自身のことではなく、

 

 

 

 

 

 

私の力の及ばない相手のことに足を踏み入れがちなので、

 

 

 

 

 

 

そこには注意を払いながら。

 

 

 

 

 

僕が僕として生きることが偉大な一歩目だから

 

今、耳から入ってきた誰かの歌がグッドタイミング。。。

 

 

 

さて。

 

 

 

 

    思ったより強く、外見上も内面も、足りてないって思いが強い。西欧の容姿、筋肉、身長、英語、手足の長さ、男性であること、テキパキ動ける、人の為に動ける、異性へのアプローチが積極的・紳士的、英語、エンジニア、地理に強い、自然のことに詳しい、率先して他人が嫌がることをできる、などなど。 茉優が「理想的」と呼んだように、私の中でも「そりゃ、そっちの方がいいでしょ」という自分がいた。茉優とのこれまでの中で、“私”を少しずつ少しずつ出せるようになって、それをそのまま受け取ってもらえるという経験を重ねてきて、なかなかいい感じに“私”を受け入れてこれてるかなと思ってたけど、まだまだだった。今回のことで、それが露わになった。また彼としたいと思われないように、私を選びたいと思ってもらえるようにと、無意識に在り方を変えようとしてしまう自分がいて辟易した。どういうヒトが素敵で、理想的か、それってどこから持ってきた色眼鏡なんだ?!私自身が誰よりも最高に完璧で素敵だと、揺るがない自信が持てないなんて、それはどう考えても、自分の中からじゃなくて、世間とか親とかメディアとか、私以外のどこかから持ってきた価値観でしかないやん!私が私をご機嫌に生きるのに、そんなのいらん!!って思えた。    

 

 

 

    パートナーシップは、男女という組み合わせが自然で理想的、という根強い思い込みが私のどこかにウンコのようにこびりついていた。生物学的に、とか、自然、とか、体の構造上凹と凸でフィットしている、とか、男性性と女性性の組み合わせ的により相性がいい、とか、私と茉優との間に実際に存在する全てをきちんと受け取り切らずに、どこかや何かに答えを求めがちな私。そうやって、自分の中から出てきたものでない尺度で私たちの関係やまぐあいをジャッジしては、不足感や物足りなさ、地に足のつかない感じを持ってきた。そんな前提に立っていたからこそ、2人のオリジナルのまぐあいは一向に深まらなかった(私目線では)んだと、今は思う。どちらかというと、茉優よりも私の方が、私たちのまぐあいに疑いを持ち続けて来ていて、散々茉優が差し出した手を、気付きもしないで払いのけ続けてきた。今回、茉優が他の人とセックスをしてしまったことの原因の1つにはそのことも含まれるように思う。

 

 

 

 

    好きな相手を追いかけることが惨めだと思っている。相手に傷付けられても、傷付けられても、放り投げずに、想い続けること。豊島に向かって車を走らせる中、茉優は茉優でシェアの友達と楽しい時間を過ごしていたり、豊島の自然を満喫していたり、そういうことを知らされるにつけて、あるいは、ラインや電話が思うように返ってこないときにずっと待ちわびてしまうにつけて、1人茉優のことで頭も心もいっぱいになってもがき苦しんでいる自分を惨めに感じた。けど、相手がどう返してくるかに関わらず、そんなにも人を想えること、想える相手がいること、こんなステキなことはないじゃないか!と思いたい。惨めに感じているときは、引きで見て、ドラマとかで浮気をされたヒトの醜態を見る自分の目線が入ってると気付いた。それも私の中からじゃ、ないね。

 

 

 

 

     周りや相手の状況や思いに反して、自分のニーズを自覚して、それを声に出す、相手に伝える、ことにとても強いブロックがある。茉優のしでかしたことのせいで、心身共にボロボロ・ヘロヘロになった私は、私のことを想って、豊島での全てを放り投げて、私のところに駆けつけて、言葉の限りを尽くして、思いの限りを私に届ける努力を、私がどんなにはねつけまくっても、それでも想いを届け続けるという姿勢を望んでいた。豊島に私が向かうという話になっていく中で、私の中にくすぶり続ける想いにようやく気付くことができた。その子のために、私は泣けた。そして、勇気を振り絞って、かっこ悪いと思いながら、言葉にした。相手の言動はわたしの望むこととは違ったけど、わたし自身が自覚できたこと、抱きしめてあげられたことで、ほぼほぼOKなんだなと、今は思えている。両親共働きで、母親は看護師をしながら組合活動もし、家事もほぼ1人でこなしていた。父と母は仲が悪く、母と同居している父方の祖母の仲も悪かった。私には年子の兄がいて、第一子の彼は本当に何から何まで全力を注いで育てられ、私は「手がかからなかった」と言われる感じで、2人の子のうちの1人というのしかなれなかった。わたしは何かにつけて兄の真似をし、彼に勝つことに一生懸命だった。中学くらいに兄がグレだしてからは、父を困らせ、母を泣かせる兄を心の中で蔑み、わたしはお母さんを助ける人であらねばと頑張った。家族の中の不穏な空気がなんとかマシになるように、私は私の形を作っていった。その窮屈さたるや凄まじく、所々で溢れ出し、弟に八つ当たりをしたり、両親にキレたりしては、自己嫌悪でさらに苦しむという苦しい時代だった。「兄は何をやっても注目してもらえ、どんな状態であっても愛される。私は親が描く元気で活発でお手伝いが良くできて勉強も運動も良くできる、「直子らしい直子」でないと愛されない。愛されていると分かってきたつもりが、そんな風に思ってもいたと気付いた。疲れ切った母を見ていられなくて、どうにか喜んだ顔、嬉しそうな顔が見たくて、一生懸命だった。全てを無視して私が叫びたかったのは、「翔太郎なんかほっぽって、仕事なんかほっぽって、私が求めた時に、何よりも優先して私のそばにいてよ!!!!私をみてよ!!!私だけを愛してよ!!!!!何にもしなくても、何もできなくても、ただ私が存在しているだけで、とびきり嬉しそうにしててよ!!!!」だったのだと思う。

 

 

 

 

        家の中に閉じこもっているより、外に出て、色んなところに行って、新しい人や自然やモノに出会うことの方がキラキラしていてステキという観念。羨ましいとは今も思う、そうできる茉優が。だけど、私は新しい場所や人と出会うと本当にたくさんの情報を、知らず知らずに拾いに行って、全部を受け取ってしまう。茉優のようにいいところだけに目を向けて、そこだけを受け取るという性質はない。だから、自分が一番リラックスできる場所で、本当に私と関わりたいと思ってくれる人と、じっくりと関わるということが多いに性に合っているのだと言い換えられる。外の風を浴びたり、歩いて足を使ったり、太陽の光を浴びたり、ということは不足しがちになるから、その対策は必要だと感じているけれども、茉優と比べて卑屈になるのは違う。彼女のそんなところが好きだし、羨ましくなる時だってあるけど、私のこの部分が私には必要で、とてもとても大切な働きをしていると気付くことが肝心だなと思った。何にしても、人と比べ出すと、本当の意味では自分には必要ないモノを求め出して、どんどん自分が濁ってくるから、危険だ。

 

 

 

 

 

      茉優に対して男役でいたがる自分にも気付いた。私が女であることを嫌がっていた、あるいは、男であろうとした、理由はいくつかあると思っている。そのうちの1つは性欲に支配された男の対象になることを嫌悪したから。男になれば、人として深く繋がりたいと思う気持ちを踏みにじられることもないし、エロビデオで見た女の人たちのように醜い性の道具として見られたり、使われたりすることに怯えずに済むから。(これは本当に最近自覚し始めたこと)それから、好きになるのがほぼほぼ女の子な私にとって、私が男役でその子と関係をもつというのが、何だかとてもウキウキすることだったから。他の理由は置いておくとして、そんなことだから、不自然に男の体を目指すのを辞めて、どんどん容姿も中性or女性寄りになってきているし、私の中に確かにある女性性を解放したいと様々試行錯誤しているにも関わらず、なんだか女性性の部分が開いたと実感できないできた。それはそうだ、私を一番よく写す鏡である茉優に対して、女の部分を出しきりたくないと思い続けてきたのだから、それを持ち続けているから、本当にシンプルにそれだけだった。「男の中にも女性性はある」、「直は男の子でも女の子でもなくただの直子だよ」、茉優や他の人から貰うその言葉たちに力を借りて、私は私がそのままでいた時に、結果として外から女っぽいとか、女らしいとか、言われてしまうことを恐れずに生きたいと思った。結局、それも外側の声だから。私がどういう外見になろうが、どういう振る舞いをしようが、茉優はもう揺らがない。もう、問題は私だけなのだ。    

 

 

 

 

 

 

       男性が性的にそそる対象でない女性は魅力がない、とか、価値が低いとか、いう、ジャンクセックスレベルの男がとる基準を私も採用している部分があると気付いた。私が、男性にとっても、女性にとっても、性的にそそられる対象でないこと、ドキドキとか絵になるような恋愛の中に居場所がないこと、を惨めに思ってきたようだ。そうになりたいのになれないというところから逃げるために、そんなの望んでない、嫌だっていう方向に振り切ろうとしてきたような。本当に素敵な女性をたくさん知っていて、男がそそるかどうかがそれに関係ないと重々分かっているのに。だから、男性に性の対象と思われたくないというのと、そう思われないと魅力がないというのと、完全に真逆な思いの狭間で、呆れるくらいに身動きがとれないでいたらしい。「男性にそそられることは女性に魅力があることの1つの証拠ではあるけれども、男性にそそられないことは女の価値に1つも影響を及ぼさない」そんなことを書いている人がいて、なんだかようやく腑に落とせたようだ。ついでに、それに加えて、先程触れた劣等感も相まって、私はあまりにも男性の性欲というのを(女目線でいる時に)敵視しすぎだなとも思った。ただ、だからこそ、男の性欲処理の餌食になって、深い部分で傷ついていた茉優をその世界から引っ張り出すことが出来たのだから、ありがとう、とも思う。これからは、もう少し、ゆるやかさが持てたらなと思う。

しゅーへーさんとのお風呂での一件も、それに少し手を貸してくれそうだ。

 

 

 

 

 

       私の中に、尽きることのない愛で溢れた男性の腕の中に抱かれたい、全ての力を抜いて、身を委ねきりたい、そういう思いがあることを初めてきちんと自覚して言葉にした。その男性像はどうやら「大草原の小さな家」のお父さんから来ているようなのだけれども、それも外からなんだろうと思う。茉優の中にも力強い男性性がいる。(はず。いないと困る。)私がそれを受け取るスタートラインに立てば、もうそこにあるものなのかもしれない。ココだけはまだ、かもしれないのだ。私はまだ見たことがない、何があっても揺らがない、私のためだけに動ける茉優を。新しい展開を望みながら、私は1人壇山の頂上で車中泊する。茉優には歩いてココに来てよって言ってある。この間は、人の車に乗っかって、もらったみかんや干し柿を手にルンルンで現れたから。そういうのじゃない。私が見たいのは。私が男に求めるのはそういうのじゃない。ま、今のところ、来なそうだね。 

 

 

 

 

やっていることがとんだ茶番なようにも思えて来てるけど、

ま、

試しにやってみよ。

 

 

さっき、イノシシに気をつけてってLINEが来たから、

 

来る気はなさそう。

 

 

 

長く寒い夜になりそうだ。

 

 

でも、星が、月が、綺麗だ。

 

 

 

完全なる静けさが貴重だ。

 

 

 

私の内なる声をしっかり聞こう。

 

 

 

 

朝日、一緒に見たいなぁ。