全ての感情の根っこには恐怖がある
見失った本質を思い出す時
必ずその恐怖を通るようになっている
恐怖がどこにあるか
ソレを見つけることが第1歩
キラキラ生きる人生の先輩にそう教えてもらった
私はようやく気が付いた
私が怖がっているのは
安らぎが奪われること
私のみる世界には
絶対的に安心出来る場所(人)
と
そうでない場所(人)
がある
前者が家族やパートナー
後者がそれ以外全て
だから私は後者の世界では
足をすくわれないように比較的いつも何かに怯えている
だからこそ
小さい頃から
私は家族の中に起こる不調和に怯えてきた
絶対的に安心出来る場所がなくなる恐怖
些細なことで機嫌が悪くなる父
物に当たる音
鋭く刺さる声
苦しみながら懸命に働く母
父に向けられる嫌味
疲れた顔
悲しそうな目
父と母とおばあちゃん(父方)の間にある
敵意・ミスコミュニケーション・嫌味・建前
…
私は必死で立て直そうとしてきた
私の形を変えることで
こんな私であれば
こうしてあげれば
私が彼らを変える
数少ない“安心できる居場所”を守るために
でもソレは間違いだった
私がすることは
ただ私が私の人生を生きること
私の中にある恐怖に気づき
ただ味わい
そして味わい切ること
そうやって私の白丸(ど本質)に近付いて行くこと
どこかに安心出来る場所や人があるのではなく
ソレはいつも私の中に
つまりはどこにでも
あると知ること
というより
あると思い出すこと
ただそれだけでよかった
もしかしたら
私が誰しもを愛する人であることを思い出すために
どうしても必要な扉なのかもしれない
その恐怖は
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☆気づいた途端、どこからか出てきた日記に驚いた
【中学校の頃の日記】