おにぎり ころりん すっぽんぽん

29歳で女を辞めて、33歳で社会人を辞めて、34歳でトランスジェンダーを辞めた私。私自身の想像をも盛大に超えて転がって行く私の人生。そんな中、パートナーの茉優を筆頭に、様々な他人を通して出会う私の闇たち。彼らに光を当てるように書いていけたらと思います。

わた史~面白かった「会社を辞めてからインドまで」

 

まさか自分が男性とSEXをしてみたいと思うなんて。

まさか自分が子供を産んでみたいと思うなんて。

 

 

どんなヒト?

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桑原直。(元 直子)34歳。無職。
29歳の時に性同一性障害の診断をもらい、

同年おっぱいをとり、男性ホルモンの注射を始めた。
なので、身長は159cmとちっちゃいものの、見た目はほぼほぼ男性といえると思う。服を着ていれば。か
トイレも温泉も男用を使っている。
(つい最近股間を隠せば公衆浴場に入れるということを知り、結構ドキドキしながらではあるが、男湯にお邪魔している。)
22歳の女の子と独特なお付き合いをしていて、思いの外深く愛していることに最近気付いてきた。
1歳の甥っ子には、オッサンとお坊さんとゴボウに似ていることから、ごぼうさんと呼ばれている。
なぜか子供に強く当たられる。

やりたいこと。→分からない。
たぶん、心の中を平和にして、世の中の皆さんと調和出来れば、何をしていてもいいんだと思う。(ほんのごく最近、おにぎりとお手紙で人に自分の中から湧き上がる何かを届けたいという衝動が起こることが増えてきたかも)
やりたくないこと。→決められたスケジュールで動くこと。すべきことをすること。ちゃんとすること。

 

どんな風に生きてきた?

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1983年に群馬県前橋市で生まれる。
男女男女の4人兄弟の2番目。
体格がよく、何でも兄に勝とうと頑張って随分兄を苦しめた気がする。
3年越しで授かった第一子の兄に全精力を注ぎ込んでいた両親は、年子で生まれた自分をほっといてもいい子だったと表現する。

記憶によれば保育園が私のピークだった。
たぶん、未来への恐れなど皆無で心の底から毎日が楽しくて仕方なかった。
裸足で泥だらけになって走り回り、男も女もなくみんなパンツでプールではしゃぎ、山登りやスキーにも行った。本当に色んなことにチャレンジさせてもらったように思う。素敵な保育園だった。
お昼寝の時間に眠らずにみんなで足音を忍ばせて職員会議を覗きに行くという壮大な冒険で胸が踊るあの感じを今でも思い出せる。お泊まり保育で保育園に泊まった次の日の朝、みんなで食べた納豆ご飯の美味しかったことが今でも忘れられない。
保育園の友達全員とお別れして小学校に上がった時、
彼らに会いたくて会いたくて堪らなくて、
毎日彼らのうちの誰かが自分の学校に転校してくる夢を見ては、
朝夢だと気付き泣いていた。


小学校では、
努力せずに運動も勉強もよく出来たし、真面目で明るくてハキハキしたいい子みたいな感じだったと思う。先生からも好かれた。いつからか誰からも好かれる自分でありたいと思っていたし、正しくいい人間であろうとしていた。ただ、今思えば自然とそうするのとは違って、そうすべきと自分の欲求を押し殺しての言動だったように思う。その反動で溜まった鬱憤を特に弟にぶつけていた時期もあった。
(この時期の学童保育所は保育園の次にピークな記憶。竹で食器を作ってキャンプに行き、子供だけでご飯を作ったり、陣取りやSケン、缶蹴りや四十跳びチャレンジなど、ワクワクすることがたくさんあった。そこの女性指導員が大好きでその人からもらったTシャツとパーカーを高校生くらいまで着ていたな。)


小学校から高校までソフトボールを頑張って、大学からずっとしたかった野球にシフトした。
常に人数の足りないような弱小チームにはいたけれど、小学校時代から女の子なのにすごいとチヤホヤされ、
中学では顧問の先生の代わりにノックを打ったり、コーチングをしたりしていたし、
個人的に毎日素振りや筋トレをするなど、
高みを目指して自分なりにストイックにやっていた気でいる。
ただ、正直振り返れば、
純粋に楽しめていたのは小学校までかもしれない。


中学校から自分の体が上手く使えなくて、努力しても努力しても根本的に何かが違っているように感じながら練習していた。ライバルや後輩に追い越されることに常に怯えていたような感覚もある。得意だったスローイングがこの頃から苦手になった。
最近気付いた。
胸に巻き続けた腰痛用コルセットが原因かもしれない。
その当時は全く気付かなかったけど…
そんな中辞めずに続けていたのは、
もしかしたら他に居場所の作り方を知らなかったからかもしれない。自分からソフトボールをとったら桑原直子らしさがなくなると思い込んでいたのかもしれない。他のことを一から始めて上手く出来ない自分と向き合いたくなかったのかもしれない。
その頃から失敗を恐れて、一歩を踏み出すことを避け始めていたように思う。


行きたいわけではなかったけれど、県内有数の進学校にチャレンジして見事合格。行きたいわけではなかったけれど、そこそこの国立大学に見事合格。
この受験期のストレスは相当だったように思う。
今の過食の走りはこの辺りだと自己分析している。
やりたくもないことのために、面白くもなんともない受験勉強をしなければならないと思いこんで作り出した苦しみ。(苦しみの先に制服のスカートというさらなる苦しみが待っているという気持ちだった)

 

そこに両親の不仲、母親と同居する父方の祖母の不仲、高校からグレ始めた兄の言動や親との不和、から作り出される極めて心地悪い家庭内の空気。鬱屈した気持ちを自分より弱い弟にぶつけてしまう自分の醜さ。
素の自分を晒け出せる友達は0。
に私はやられていた。だけど私は両親を喜ばせる役割だと思っていた。
大変そうな母を助けないと。
兄のことで泣いている母をどうにか笑顔にしたい。
だけど、なんで自分ばっかりという気持ちが消せない。そんな自分を責めた。
(だから、それらから逃げるために県外の大学を選んだ。センターの結果と前の席の人が見ていたパンフレットの写真が良さげだったから、という理由のみで。
そして、自分が逃げるくせに、妹に『お母さんは大変だから、自分がいなくなったら助けてあげないとダメだよ』と押し付けた。

その妹が17歳で自死した時、私のその言葉がどれだけ彼女を苦しめ追い詰めたのだろうと、随分自分を責めた。
(今は卒業したけれど))

 

この辺までは一般的に言う、順調。表面的には。
自分としてはココまでは両親の自慢の子供(娘)だったんじゃないかなと思う。
自慢の子供でいることで両親が嬉しそうにしている顔を見るのが好きだった。


大学は特にやりたいこともなかったため、「方法論を学べる」というお父さんのアドバイスに従って、法学部を選んだ。

大学では居場所を見つけられず、友達もほぼいないに等しかった。
中学以来遠ざかっていた男性とどう関わっていいかわからなかったし、

高校まで学校と家の往復以外ほとんどしてこなかった自分は、『さあ、自由に選択して、自分のやりたいように日々をアレンジして!』という環境に、途方に暮れた。

私の中には、こんな世界がいいなという理想の世界があって、高校まではソレを自信を持って主張していたけれども、私よりもずっと頭のいい、弁の立つ方々に『そんなの机上の空論だと』コテンパンにされ、自分が思うことを人前で話すことがどんどん怖くなっていった。
相手の言っていることに納得出来ないけれど、持っている知識量、議論の技術、全く歯が立ちそうになかったし、彼らを言い負かす為に努力する気にはなれなかった。議論する時の心の感覚がどうしても苦しかった。
そんな情けない自分、楽しくない毎日、
光の見えないその先、

一人暮らしで誰の目も届かない環境も手を貸し、

私の過食はこの頃一番ひどくなった。

自分の中にポッカリ空いた穴を、
埋めようと
食べた時、美味しいと感じるその感覚だけが、ソレを可能にするような気がしたのだろうか。

決して満たされない心を満たそうと、深夜5回も6回も最寄りのLAWSONに通ったこともあった。
体はもうとっくに限界を超えているのに食べることをやめられない。食べている時から次に何を買ってくるか考えているような状態。
食べることを辞めたらどす黒く底のない絶望の世界に飲み込まれてしまうような焦りにも似た感覚に駆り立てられていた。


ひょんなきっかけで近くの大学の女子野球部と関わることになり、
自分の身体に限界を感じて、もうソフトや野球からは離れようと思っていた私だったが、
野球部に入ることに。
居場所が欲しかったんだと思う。
私の大学時代は完全にこの野球部とそこで出会った人々との記憶。


大学卒業が迫る中、
社会に出るのが怖くて、人からの評価が怖くて、しなきゃいけないけど超絶やりたくなくて、就職活動を一切せず、卒業。

 

働かなくてはと重い重い重い腰を無理やりあげて、訪問入浴のヘルパーのバイトを始める。ヒトの為になる仕事をしたいと思える自分でいたいと踏ん張っていた気がする。週3日しか入れないと言われた為、残りの日を別のバイトでうめる。それが棚卸会社。上手く出来る自信が無さすぎて、「誰にでも出来る簡単な仕事です」という言葉と時給だけで選んだ。

途中、妹が17歳で自死したことをきっかけに金沢の営業所から実家に近い高崎の営業所に移ったものの、同じ会社で、2015年7月までトータル10年勤め続けた。


楽しくはなかった。
ワクワクなんてしなかった。
苦しくて苦しくて仕方なかった。
だけど、他で何かが出来る自信なんてなかった。
他の世界で馴染める気がしなかった。
やりたいことも分からなかった。
年齢が増えれば増えるだけ、こんな年齢から何かを始めても・・・という気持ちが増えていった。

 

自分がいかに楽にたくさんのお金をもらうか。お客さんのため、一緒に働く人が心地いいように、なんて体のいいことを思っていたけれど、実は頭の片隅では、自分の損得以外の理由で動けなくなっている自分に気付いていた。

 

言い訳でしかないけれど、世のため人のためと言う建前の元、一時的な株主の利益しか考えず、人もお客さんもその為にはいくらでも犠牲にするという会社の在り方の前に、自分の中の柔らかで大切な何かは日に日にブヨブヨと腐っていき、悪臭を放っていった。
大きな流れの中で、自分の中のかわいらしい素敵な部分を守り続けるストレスに耐えられる力が自分にはなかった。
自分も周りの人もとてもとても傷付けていた。

その頃の同僚に当時の自分がどう見えていたか教えてもらった……


『お久しぶりです。

色んなところを旅されてる噂はふわっと聞いてましたが、桑原さんもお元気でしたか?
私は社員になってからブラック多いですけどなんとか生きてます笑

当時の桑原さんですか…

私も人に何か言える程出来た人間でもなんでもないですが…

私が当時感じていたことは、なんでもっと早く出来ないの?っていう空気というか、雰囲気というか。
仕事遅くてすみません、と思う反面、桑原さんと同じようには出来ないです、、と思いながら働いてた時もあったので、その頃は働きづらくて、
自分以外の人も同じようにそんな空気や言動に当てられて、やり辛そうにしているのを見てるのも辛かったり…しました。

求めてることの答えになっているのか微妙ですみません😅』


彼女はすごく気を使って答えてくれたけれども、
実際はもっとえげつない感じだったと自覚している。

 

 

 

何とか息を止めて堪えて平日を終え、週末にお酒を飲んでうさを晴らす、ということの繰り返しだったように思う。


限界だったんだと思う。
コップの水が溢れるように、様々なことにビビる余り一歩を踏み出せない自分でも、
終わりなく苦しみ続ける毎日がどこまでも続き、そのまま人生の終わりを迎えるなんて、
それでいいのか??という声にフタをする力すらも弱ってきていたのかもしれない。

 

33歳を迎える7月、10年間勤めていた会社を辞めた。怖くて怖くて怖くて怖くて仕方なかった。孤独死する自分の姿を頭から消せなかった。やりたいことなど一つも思いつかなかった。どうに生きていけばいいかも知らなかった。

だけど、辞めた。

 

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恋愛

 

それが恋愛かどうかはわからないけれども、保育園の頃から保育士さんや学童の指導員さんなど大分年上の女性が好きだった。

小学校の頃は同級生の女の子にチヤホヤされるのが好きだった。そんな彼女らにいい格好を見せたいというのが様々なことを頑張る大きなモチベーションの1つだったように思う。

 

ヒーローになりたくて、『車に轢かれそうな猫を救って命を失い、お葬式で彼女達が私を思って泣いているところを上から眺める』という夢を見ようと思って眠りについていた時期があった(笑)

 

 

1つ自分の中でなかったことにしてきたことが...。

小学校時代1人すごく気になっていて、もしかしたら好きだったのではないかという男の子がいた。天真爛漫でとぼけた感じでいながら、ここぞというところではすごく優しい人だった。彼のようになりたいと彼の服の着方や、秩序なく自由なノートのとり方など、何かと真似していた。頑張らなくても、何かが飛び抜けて出来なくても、自然体でみんなに好かれる彼のようになりたかった。

 

それが恋だったかは微妙だけれども、周りにからかわれた時などに猛烈に否定した感じや、過去の恋愛の話をする時も決して彼のことには触れたがらない自分を興味深いとは思う。
なぜにそんなにも必死に嫌がるんだ...

 

 

本格的に人を好きになったのは中学の時。クラスメイトの女の子を好きになった。人を選ばず誰に対しても優しくも厳しくも出来る人、どんな相手でも、言い難い状況でも自分が思うことをきちんと言える人、家の手伝いや兄弟の世話を進んでできる人、
彼女に認められたくて家の手伝いとか色々頑張った気がする。

 

仲良くしていたし、今でも持ってるドナルドのキーホルダーをもらったし、勝手に彼女からの好意を感じていた自分は、彼女がそんなに仲良くしていた印象もない男の子を好きだと知って本当に凹んだ。その時に、ホンモノの男でない自分はもっともっと努力して中身をよくしないと選んでもらえないんだと、変に頑なに思い込みだした気がする
そのうち彼女は転校していったのだけど、一週間位ZARDを聞きながら泣いたなぁ(笑)

 

自分の体の変化と周りの男の子の体の変化を比べてしまうことが苦しくて、
より進んだ恋愛をし始めた周りについていけなくて、
女子校を選んだように思う。

 

中学での失恋当たりから、誰かに好きになってもらうことを諦めつつあった。
高校でいいなぁと思う人は何人かいたけれども、その人とどうにかなりたいなんて1ミリも思えなかった。
そもそも誰かといてもリラックスして自然体でいられることはなかったから、二人きりになるととてもとても疲れた。

 

 

大学1年の時、私を一人ぼっちの絶望の世界から救い出してくれた親友Kと出会った。

 

初めて、

家族のこと、自分の性別のこと、1人で抱えて来たことを打ち明けることが出来た。たった1人に話せただけだったけれど、私から見える世界は180°変わったようだった。

 

男同士の友達といった感じだった。


Kは一人暮らし私の部屋によく遊びに来てくれるようになり、泊まって行くことも増えていった。
そんな中、全く予想していなかったけれども、程なくしてプロレス中にキスする流れが訪れ、(盛り上がり過ぎて家庭教師のバイトをすっぽかした...)
、何だかソレはいきなり恋愛になった!

 

Kが私の初めての交際相手となり、実家暮らしのKが私のアパートに住み着く形で一緒に暮らし出した。何でも分かり合えるKとの時間が楽しくて、自分の中にあるものをそのまま出せること・受け取ってもらえることが嬉しくて、仕方なかった。
みんなに会わせたくて、よく群馬の実家にも一緒に帰った。

 

両親も含めて誰にも関係はオープンにしていなかったし、どう実現するかはピンと来なかったけど、Kといつまでも一緒にいると信じて疑わなかった。


だけど、次第にどんな自分も包み隠さず見せられるようになった私は、(脇毛を抜き合ったりもしたな…)Kとの関係をほとんど家族のように認識するようになっていった。

それと同時に、いつ頃からだったか、性的な関係をやんわりかわされるようなことが増えてきて、私は恋愛対象として見てもらえていないとどこか感じるようになっていた。

 

短大生だった為先に栄養士として社会に出て上手く生きている彼女と自分を比べて不安になり、置いていかれるという焦りから、本当に沢山彼女に当たった。K以外と心を開いて関われない自分は、他の人ともいい感じに関わるKに嫉妬した。自分でも怖くなるくらい次々と生まれる苛立ちや怒り、傷付けたくないのに傷付けることしか出来ない醜い自分、
出口のないトンネルにいるようだった。

 


そこから逃げたかったのだろうか。
恋愛対象でありたかったのだろうか。

 

結局私はKから離れる。
職場で出会って仲良くなったYに恋(?)をして、酔っ払って告白して。
翌日どういう事だったのかと連絡が来て驚いたものの、関係が始まることに。


最後は
「好きな人が出来たんだけど、うちらって今付き合ってないよね?」
という言葉を使った。
Kは「そういうこともあるよ」
と平気な様子で言った。

 

その後私はYの家で居候を始めるのだけれども、
その後もよくKのところに帰ったし、
妹が亡くなって群馬への引越しをする時も、ハイエースを借りて二人で行った。
私の中では今も変わらず家族に近い存在。

 


棚卸会社の同僚、Y。
友達として仲良くなっていく中で、「男性をたてる女性らしさ」風の何かを感じ、そうに扱われたいと思うようになった。

 

未婚のシングルマザーで、当時3歳の娘がいたけれど、諸々の事情で児童養護施設に保護されていた為、同居はしていなかった。

 

男のように扱われること、
どこまでも甘えさせてくれること、

私はYといることで
どうにか立っていられたのかもしれない。

 

ヤクザの父をもつYは暴力でしつけられて育った。小さい頃にその父を自死で亡くし、その死を母親からことある事に「お前のせいだ」と言われてきたという。
精神的に不安定で、
タバコと精神薬に依存していた。
何度となくリストカット、薬の大量服薬などを図ってきたらしい。
私と付き合っている間にも何度かあった。

 

正直、付き合い出してから次々と知っていく彼女の闇に、私はとてもビビった。
服薬中に支離滅裂になる言動、
ネグレクトや虐待に近い娘への接し方、
不健全な身体、
すぐに揉め事が起きる人間関係、

 

ビビって逃げたくなっている一方で、私は自分が頑張ればどうにか出来ると思っていた。

 

 

...だけど私の言葉は全く彼女には届いていなかったらしい。
最近彼女に会った時に正直に話してくれた。

 

直子は繊細でとても弱い人間。私が支えてあげなければと思っていた。だから、自分が弱みを出して直子に頼ることは出来なかった」

 

ショックをだった。
勝手に私が支えていると思っていたから…

でも冷静に今振り返ってみるとその通りかもしれない。

 

1歩も足を前に踏み出せずに日々を浪費し、自分を責め続けていた私は、彼女に全面的に受け入れてもらうことでかろうじて立っていた。

 

男と扱われたいけど、その為に何かをすることには踏み出せないでいる私は、彼女に男のように扱われることで自分の中の何かを満たしていた。

 

ナベシャツやジャンクフードばかりの食生活、タバコやお酒の摂りすぎ、不正出血などによる貧血、
立っているのもしんどい中で、彼女に寄り掛かることで生きていたように思う。

 

彼女が苦しんでいる時、
私がやっていたことは、
正論を振りかざし、
正しい選択の出来ない彼女を責めていただけなのかもしれない。

 

どうにか精神薬依存を辞めさせたい
どうにかリストカットを辞めさせたい
どうにか娘をきちんと愛せるようになってもらいたい
どうにか人と揉めないようになって欲しい

 

その一方で私はありのまま丸ごとを受け入れてもらいながら、甘えたいだけ甘えていた。

私は私に対する不満に目をつぶる代わりにYの至らない点をどうにかしようとすることで自分の真っ当さを感じたがっていたのかもしれない。

 

そんな日常の中で、

私は妹の死をYの家で受けた父からの電話で知った。

 

全くピンと来なかった。
電話を受ける前の午前4時頃に体が震えて目を覚ましたことと、初めて聞く父の涙を堪える声だけが違っていただけ。

昨日と全く同じ世界なのに、その世界には妹がいないなんて。

 

群馬に帰ったら妹の死が事実になってしまうから帰らないと言い張る自分を説得し、
金沢駅で電車に乗るところまで引っ張って行ってくれたのはYだった。

 

 

それから、Yとの間で1つ強く残っている記憶。

 

娘のMちゃんが一時帰宅した時、
その子が寝ている隣の部屋で、
私はYとセックスをした。

 

しばらくぶりに一緒に過ごせる親子の時間を私は子供から取った。

 

そんなことをしてしまう母親Yを責める気持ち、そう思いながらYとのセックスで何かを満たさないではいられない自分の醜さ。

 

Mちゃんの目に私はどんな姿に写っているんだろうと思うと、怖かった。
あんなになついてくれていたのに。

 

 

妹の死を受けて、
弟から帰ってきて欲しいと言われ、
(妹の死に間近で直面した上に、初めて家に子供が自分1人になってしまってキツかったらしい。私に気持ちを打ち明けてくれ、頼ってくれたことが本当に嬉しかった。)
実家に戻ったのだけど、
その後も月に2回のペースで往復700キロの道のりを車で行き来していた。
相当依存していたのではないだろうか。
群馬で新たに好きな人が出来るまで、その状態は続いた。

 

 

そして、
私の依存型恋愛に終止符を打ってくれたのがM。

 

その話はコチラから。

http://anzuruyori-umugayasushi421.hatenablog.com/entry/2018/01/09/092140

 

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もう一つのストーリー。

 

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保育園の卒園式で女の子用のワンピースを着せられた時、なぜ自分はコレなんだ?!と泣いてダダをこねた。

 

小学生の頃は、勉強もスポーツも出来たし、人にも好かれることが出来るし、将来カッコイイ男になれると信じていた。おちんちんはそのうち生えてくるんだろう、と。

 

公式な場での服装、水着、体操着のブルマ、
保健体育の授業で女の子用のカテゴリーに入れられたこと、ランドセルの色、お土産やプレゼントでお人形やままごとセットなどをチョイスされること、嫌だったのはそんなところか。

 

あ、身体の変化は何よりも辛かった。
徐々に膨らむ胸。
徐々に丸みを帯びる骨盤。
努力しても努力しても、努力していない男子に負けてしまう筋力。
止まった身長。
生理。

 

背を伸ばすためにたくさん牛乳を飲み、公園の鉄棒で逆さまにぶら下がったりもした。
筋力を付けるために毎日筋トレをした。
体が思うように、カッコイイ方向に向かうように強く強く胸と骨盤を殴りつけた。(本当に痛かったなぁ)
どうにか胸を平らにしたくて、お母さんの腰痛用のコルセットをこっそり拝借して、胸に巻いて登校した。

 

日に日に望まない体になっていくことに怯えて、
眠ろうとすると息ができなくなって、
夜は眠れなかった。

(巻いてたコルセットの影響もあるのかも)


生理がきた時、
恥ずかしさ、屈辱感、嫌悪感、
そんなようなもので追い詰められた。
誰にも知られたくなくて、家の近くの公園のトイレで泣きながら途方に暮れた。

自分の人生は終わった、と思った。
男にはならないんだ、と。
どんなに努力しても、自分の望む体では生きられないんだと。
この先、どんなに楽しいことがあったとしても女の体で体験するしかないのなら、全く楽しくないと。

 

中学入学式の前日、スカートを履くのが嫌で家出した。せいぜい3、4時間で心細くなり帰宅したけど。。

 

中学時代は体がどんどん不恰好になっていくし、見た目も全然かっこよくなくなっていくし、スカートも履かなきゃだし、
キャラクター的な・おっさん的な立ち位置にいるのが1番マシかなぁとどこかで思い始めた気がする。眉毛が繋がっていたため、両津勘吉と呼ばれたこともあったな。

 

夏場の水着とか薄着、それを強要してくる熱血の体育教師の担任、林間学校や修学旅行でのお風呂など、いつ次の苦しみがやってくるのか常に怯えていた感じで過ごした。

 

高校に入り、どういう流れだったか、
自分で自分は見えないと必死で自分に言い聞かせ、
大きくて邪魔なオッパイを支えるため、
初めてブラジャーを着けた。大学まで着けてたのかなぁ。

(Fカップあったよ…)

 

 

もう自分の容姿に関しては半ば投げやりに、どうでもいい感じで、目を塞いで生きた。

 

いっつも猫背気味にして、トップスの前の部分を手で持って膨らませて、胸を目立たないようにするのが癖だった。
途中2回坊主にして、お母さんに泣かれたな、確か。

 

大学で入った隣の大学の女子野球部には男のような女の人が数人いて、もしかしたらもう少し明るい未来があるかもしれないと微かに感じた。

 


(中学の時の初恋の女の子が他の男子を好きと知った時から、見た目や筋力でどうにもならない分、人間的により立派な人間にならないと男に勝てないという思いをずっと持っていた気がする)

 

29歳の時、

 

自分の人生このままでいいのかモードの中、何でだかわからないけど、自分の体と向き合うことを決意した。

 

高校生の頃から治療という選択肢があることは知っていたけれども、「それをしてしまったら自分は自然でなくなり、ゲテモノになってしまう」という自分自身の偏見からそんな選択肢はあり得ないと思っていたのに。

 

初めて心療内科に電話をした時、飛び込みたくないけど、もう崖の端に追い込まれているような感覚で、もうどうにでもなれっ!というような半ば投げやりな感覚で発信ボタンを押したのをよく覚えている。記憶力に難がある私が、スタバのドライブスルーで横の席に当時の彼女がいたというのを覚えているほど、自分にとって忘れがたい一瞬だったようだ。

 

カミングアウト時に書いた両親への手紙には、もう女として生きるのは限界です的なことを書いた気がする。

 

大したことを話すわけでもないカウンセリングに群馬から浦安まで何度も通い、
セカンドオピニオンを別のクリニックでもらい、
なんたら委員会から診断をもらい、
おっぱいをとった。

 

変化していく自分で会社にうまく戻れるか分からなかったし、どう社会で生きていくのかもよくイメージできなかったし、両親の胸の痛みを思うといたたまれなかった。

 

だけど、それでも、決断した。

 

同時に男性ホルモンの注射を始めた。

 

何が何でもしたいとは思っていなかったな、今思うと。何となく流れに乗ったところもなくは無かったような。

 

より見た目が男らしくなるのはいいけど、
体に何かを入れることに違和感を感じていた。
嫌いな生理もそもそも半年に1度くらいしか来ていなかったし。

まあでも始めた。

声が低くなったり、体毛が濃くなったり、純粋に嬉しかった。

 

おちんちんについては、生えてくれば最高だけど、それは無理な話で、
手術で作るとしても、
まあ作り物な訳で、SEXもままならないし、
その割に色々めんどくさそうだし、リスクも高そうだし、
選ばなかった。

 

子宮と卵巣の除去については、
ソレをすると戸籍の性別が変えられるから多くのFTMがしているのだけれど、別に見た目的にはあってもなくても変わらないし、とると何のホルモンも作れなくなって、注射に束縛されるしかなくなるし、
戸籍を変えるために体を変えるって何か変だなということで、選ばなかった。


振り返れば、
私が親を含めた周りの声や世間の常識に一切影響されずに、
自分がこうしようと思って動いた、
初めての出来事だったかもしれない。

このことがなかったら、会社を辞めるという選択には行きつかなかっただろう。

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レールを降りた後


辞めてから、、、大変だった。
辞めた瞬間はあの仕事に行かなくていいという開放感に、
空が高く明るくより青く見えた。

それはたった数日の話だった。

 

やりたいことが分からない。
何なら何もやりたくない。
どこかに向かって歩き出さなければという焦りはドンドン大きくなるのに、どこにどう一歩を踏み出していいか分からない。

 

結果、家でゴロゴロ、テレビや動画、レンタルビデオを見て、欲に任せてジャンクなモノを食べ、欲に任せてエロ動画を見る。三大欲求を満たすことくらいしか思いつけないところまで、心が何かで堅く覆われていたんだと、今は思う。

昼夜は逆転していき、どんどん体調は悪くなり、さらに何もしたくなくなった。お風呂に入ることすら面倒くさかった。
こんな自分を誰にも見せたくないと、外に出ることもほとんどなかった。
仕事に行っているストレスの方が遥かにマシだと思った。

 

 

iPhoneメモ

 

‘仕事を辞めて2週間が経とうとしている。
時間もあるし、お金もあるし、何でもしようと思えば出来るのに、何もしたくならない。
で、家でゴロゴロしているのだが、
全然楽しくない。

この3日、今のところ何も出来ていない焦りと、何かが見つかりそうな気配すらないプレッシャーに押しつぶされそうになっている。
気付けば必死で色々思いつこうとしているのだが、無いものを捻り出す様な、ものすごい苦しさを覚えている。今この瞬間もお腹の奥がずっしり押さえつけられている様なそんな感覚に捉われていて、布団の中で眠れずにいる。

思い返せば、この感じは人生の節目にはいつも通ってきたような‥。
そして、無理矢理何かを捻り出すことで、どうにかこうにか「前に進んで」きたのだ。

もしかしたら、このずっしりお腹に堪えるコレと本気で向き合う時が今なのか?
こんなことなら会社を続けている方がまだマシじゃないかという心の叫びがチラホラ聞こえてくるのだが、それでは結果同じ所に行き着くのだから。

坂爪さんの言葉におおいに救われている。

頭を掻き毟りたくなくる状況に途方にくれて、坂爪さんの真似をしてみようと思い立ち、
試しに自分の中にあるものをなるべく正直に言葉にしてみた。
意外といいものかもしれない。
完全に静かなパニックを起こしていた頭の中が
少し秩序を取り戻したような気がしている。
頭がどんどん先走って暴走して、心を追い込んでいるのを和らげられたようである。’


メモにもあるように、もがきながらすがっていたのが、坂爪圭吾さんという人の言葉。
会社を辞める前辺りからよく彼の言葉を読むようになっていた。


33歳の誕生日、東京で開かれた彼のお話会に行った。仕事を辞めたタイミングでの誕生日、たまたま行ける場所で彼のお話会がある。コレに行かなければ、元の毎日に戻ってしまうという恐れから、億劫さと自分なんかが行っていいのかという気持ちを乗り越えた。

 

iPhoneメモ
‘坂爪圭吾さんを一目見てみたくて、昨日群馬から東京に足を運んだ。
国立市立図書館のこじんまりした和室で開かれたお話会。

19時からスタートだったので、それに合わせて18時過ぎにブラブラしていた新宿から移動を開始したものの、電車の乗り換えがうまくいかず、到着したのは20時だった。
さすが、自分。
思うようにならない中、どんどん過ぎていく時間。ヤキモキするけど誰にも当たれない。
これ、誰かが一緒だったら当たってる可能性高いな、と思った。
そういうとこ、直したいんだけど。

俺は昨日33歳になった。
そこをなんとなく目安にする形で、大学を出てから働き続けてきた会社を、ノープランでやめた。理由を言葉にするのは難しいが、敢えて言うなら、「自分を苦しめている何か」から
解放されたいから。たぶん、それは、きっと自分自身で、人生の取り組み方を変えないと、その苦しみからは逃れられないと何となく気付きつつあるから。
そんな自分の今の1番の助っ人が坂爪さんのブログで、気付かされたり、背中を押されたり、励まされたり、(勝手に)している。

坂爪さんをいいなぁと思うのは、自分の気持ちに誠実で、それを言葉で上手いこと表現さえ出来るところ。
俺はすぐに「すべきメガネ」をかけてしまって
、自分のありのままの気持ちとただ向き合うのがかなり下手くそだとここ最近分かって来たんたけど、うっかりしていると、向き合えていないことにも気付かず、自分の内なる声に耳を傾けたいというスタンスも割と簡単に忘れてしまう。
そんな時に坂爪さんの言葉が、道案内をしてくれるかのように、響いてくる。

今回仕事を辞めて暇を持て余していたし、誕生日だし(何かのメッセージかもしれん)…
「坂爪さんは果たして楽しそうに生きているのか」「あのような生き方をしている人はどんな空気をまとっているのか」を見てみたくて、ビビったけど、思い切って参加してみた。

失礼ながら、苦しみの中でもがいている追い込まれた目も想像したし、回り回って何かに雁字搦めにされたストイックさを醸し出している想像もした。(何かの画像からの印象?)

実際の感想としては。
かっこよかった。
初めてかもしれない、こんなにちゃんと「ああなりたい」と思ったのは。
何というかな、ニュートラルで適度に緩くてリラックスしていて、芯がある。見ていて苦しさがなかった。
見た目も、過不足なしという感じで、かっこよかった。



彼の生きることへのスタンスをボンヤリとした行灯のようにして、とりあえずそっちの方を向いてやってみたら、楽しいことになる気がする。
と自分の胸が躍ったことが、何より嬉しかった。いい誕生日になって気分がいい。


まずは、自分の内に起こったことをちゃんと見つめて文字にしてみるところを真似てみようと、書いてみた。果たして次があるのか…’
(新たなチャレンジで俺という一人称を使ったけど、結果馴染めませんでした…)

 

負のループとそういう感じの何とか捻り出すような小さな一歩を交互にしている感じだった。捻り出した一歩の後にはいつも、より大きな負のループに飲み込まれた。

 


徳島の空音遊というゲストハウス(仕事を辞める前のGWに人生初の一人旅でココを訪れ、なんだかスゴいパワーを持ったオーナーさんの言葉に会社を辞める勇気をもらった)での丁稚奉公、

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wwoof、

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そして、ピースボート世界一周。

 

どうに一歩を踏み出していいか分からない自分が頭のどこか、もしかしたら心のどこかで羅針盤にしていたことは、

 

当分はお金を絡めずに多様な人と関わりたい。

 

自分が固く握りしめて自分自身を縛り苦しめている当たり前や常識をどうにか揺るがしたい。

 

そんなようなことだったと思う。

 

会社を辞める時には、本当は一人でインドに行こうと思っていた。沢木耕太郎深夜特急を読んだ影響か、インドが一番自分の価値観を揺るがしてくれると思ったからか。

 

だけど、ビビりすぎて、出来なかった。
ピースボートの説明会で対応してくれた女性の熱く語る姿に心を動かされたのも確かに事実だけど、言ってしまえばピースボートに乗ったのは私なりの逃げだった。
乗れば連れていってくれるという安心感。

 

実は、そのピースボートも会社を辞めて早い段階で説明会に行き、キューバなど惹かれる国の詰まった92回クルーズを検討していた。流れからしたらそのクルーズだった。だけど、金額の大きさや不安から踏み切ることができず、申し込まず。そこから色々ウダウダした結果、身動きが取れなくなったため、
全く内容を知らない93回クルーズに申し込むという有様だった。どこにも一歩を踏み出せない苦しさよりマシに思えたのかも。
結果、説明会で対応してくれた素敵な女性がその回に乗船することが分かり、そうコレでいいんだと自分を納得させた。

 

 

ピースボート

 

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逃げではあったけど、大きな決断にはちがいなかった。

 

初めての海外で世界一周。

 

しかも、車のようにモノとして残らないものに200万円近くも出すという暴挙。

 

いつか何かを身につけるために学校に通うかもしれないなんて思っていたお金だった。

 

よく分からない南半球の国々。

 

治療を始めてから初めて作る人間関係。

 

男4人相部屋というのも個人的には大きなチャレンジだった。

 

 

そう、中学生以降、彼女以外と気を許して関わったことなんてなかったかもしれない。
小学校以降、男友達なんていなかったかもしれない。
というよりは、ほぼほぼ友達がいなかった。

 

 

ピースボートボート世界一周という環境で、自動的に捻り出すことになった数々の一歩。】

 

  • 自分らしくいるままで友達を作ることが出来た

 

まず、パスポート上女性なのに男4人部屋を希望するということで、受け入れてくれる同室者を見つけなければならないとのことだった。

たまたま自分と同じ状況のカネゴンという人がいて、彼と同室になってもいいという友達(ムササビ)がいるとのことでそこに混ぜてもらうことになった。

もう一人がティンクル。どうして彼に話が行ったのかわからないが、彼が同意してくれたことで船室5013(だったよね?)は成立したのだった。

 

そんなこともあり、自分の事情を予め知ってもらっていてのスタートだったのは結果的によかった。

 

彼らとの出会いと関係は私にとって非常に大きなもので、特にティンクルとは「いつも一緒にいるよね」と言われるほど仲良くなった。何かをどう頑張らなくても、ただありのまま、気を抜いて「やりたくない」「面倒臭い」と言える、そんな関係が今までの私には無かったのかもしれない。

 

  • 自分の性のことをオープンにして人と関わる事が出来た

 

船内の『普通って何?』という企画では、人前で自分の経験を心を開いて話す機会を頂いた。

 

レインボークラブというLGBTQの居場所となるクラブがあって(船上の英会話スクールのゲイの先生二人が作ってくれた)、

そこのメンバーとの関わりやサポートで、人前で話すというところまで導かれたように思う。

 

スピーチしている最中に頭が真っ白になって言葉に詰まっている私に、船上で知り合ったカナダ人の女性が、We love you的なカードを掲げてくれた。私の話を聞いている多くの人の空気や表情が「受け止めますよ」と言っていた。
世界がこんなにも優しい人で溢れているなんて、と初めて感じた瞬間だった。

 

【その時の原稿】

 

普通って何?⑴

 

・気付いた時:

①違和感を感じた1番古い記憶は、保育園の卒園式でワンピースを着せられた時。家も保育園も男女の区別がない環境だったのでそれまではほとんど違和感を感じる機会はありませんでした。「あれ?なんでコレ??」という心境で、泣いてダダを捏ねました。

 

②その後、違和感を感じる機会は増えていきましたが、今は耐えていれば、そのうち男の体に変わるはずと、毎朝トイレで確認してました。
ただその予想は外れて、体は女性らしく変化を始めます。毎日自分の体がどうなるのか心配で不安でした。胸が膨らみ始めてからは力の限り胸を叩いて必死でその変化を食い止めようと努力しましたが、遂には生理になりました。ちょっと汚い話ですけど、生理になったことを誰にも知られたくなくて血だらけのまま途方に暮れて公園のトイレで泣いていたのを覚えています。
ほどなくして母親にバレてお祝いをするという話になるんですけど、普段食べられない宅配ピザが食べられて他の兄弟がはしゃいでるのをなんとも言えない暗い気持ちで不貞腐れながら見ていた記憶があります。でも、ピザは食べたんですけどね(笑)
その時にこの先ずっと自分は女の体で耐え続けるんだと悟りました。どんなに楽しいことをしていても心から楽しめることはもうないんだと思いました。

 

色んなタイミングで色んな気付きがあったんですけど、敢えて気付いた時を上げるならその2つのポイントかなと思います。

 

・カミングアウト 周りの反応:
①中学・高校と1番しんどかった6年を終えて大学で人生1番の親友に出会いました。野球部の合宿でたまたま同室になった夜、いつものようにベッドの中で眠れずにいると、窓際の椅子にこっそり座ってその人がとても辛そうに眠れないでいることに気付きました。自分以外の人も誰にも言えないことを抱えていて、人知れず歯を食いしばっていると知りました。朝までその人の背中をさすっていたのを覚えています。背中をさすりながら自分の心の方が溶かされていったのかなぁと今は思います。その後、私は初めて自分の抱えてる苦しみを打ち明けました。ありのままの自分を出しても受け入れてくれる人がいるって初めて分かりました。それまで夜寝ようとすると息苦しくなって眠れない毎日だったのが、呆れられる位爆睡できるようになりました。

 

②親
絶望してから20年近くの時を経て、3年前、29歳の時に治療を始めると決心したんですけど、その際に同居している両親へカミングアウトしました。本当は両親には伝えたくなかったです。私たち子供がどんなに素晴らしい存在かを毎日聞かされて育ったし、子供を持つことがどんなに素敵かことある毎に言うような親だったので、自分の体に傷を付けて、自ら自分が子供を生む可能性を手放すなんて知らせたくなかった。でも、治療を進めると体や声は変化するので、知らせないとしたら彼らと距離を置く以外なくて、それは嫌だったので、カミングアウトする覚悟を決めました。直接話そうとしてどうしてもできず、手紙を書いて直接渡そうとしてもどうしてもできず、最終的に出勤前に父親の車の中に置手紙をするというやり方に…
怖いのと気まずいのと、なんですかね、両親が積み重ねてきた大切な子供との記憶を一瞬にして書き換えるような気がして、リアルタイムの反応を見るのがどうしてもハードルが高かったんです。
実は私は母親とものすごく仲が良かったんです。すごく価値観の合う親友のような関係でした。それでもまず相手に父親を選んだのは、父親ならどんな感情が生まれても冷静に考えた上でリアクションをくれると思ったからです。
父親はその日私が仕事から帰ると少し硬い笑顔で「読んだよ。よく分かった。そうじゃないかなと思ってたよ。」と言いました。その日そのことについて語り合うみたいなことはなく、その後機会がある時に、孤立しない為にこうしたほうがいいとか、今までの人間関係を継続させる為にこうしたらとか、新聞記事があれば取っておいてくれたりとか、現実的なアドバイスをくれます。そして自分よりLGBTについて勉強してるっぽいです。どんな時でも自分の感情を表には出さない人なので、私のカミングアウトをどう感じたのか、今どう思っているのかはよく分かりませんが、私から見た感じはほぼ変わりません。ただ、私の方が思ってることを何も装わずに話せるようになっただけといった感じです。兄と弟と父親と4人で何かする時に、「男4人で〜するか」と言うのを聞いた時は、気を使ってくれてるのかなっと思うと同時にくすぐったく嬉しい気持ちになりました。
人に紹介する時は、娘と言うのはやめたようですが、息子とも呼べないようです。
私の子供ですって紹介の仕方、してました(笑)
母親:「お前が決めたことなら、応援する。何があってもお母さんはお前の味方だってことは忘れないで」って感じのことを言ってました。ただ、手術や治療の体への負担をすごく心配していて、しばらくして、ふとした時に「体に負担を掛けずに自分を納得させる方法はないの?」と言ったのが強く耳に残ってます。看護師ということもあって手術に付き添って貰ったのですが、ホテルから病院に向かって歩いている時に「直が子供に生まれてくれて本当によかった。」みたいなことを言ったあとに、努めて明るく声をかけてくる母親の目に涙が溜まっているのが分かって、元々泣きそうなのを堪えていた私は堪らなくなって、「もういいからどっかでお茶でも飲んでなよっ!」と突き放してしまいました(笑)

今、両親の様子は全くと言っていいほど変わりません。ただ少し自分の方が反抗期のようなことになってまして。なんとなく今思春期をやってる気がしてます。


③会社
一応女性として7年ほど勤めた会社でのカミングアウト。
手術などの為に2ヶ月程仕事を休んだので、その流れで聞かれたら答える作戦にしました。
特に全体に発表する必要性に迫られていなかったので自分の居心地のいいやり方を選びました。
大々的に発表するという方法は自分にトランスジェンダーという大きなレッテルが貼られてトランスジェンダー以外の部分の自分が窮屈さを感じる気がしました。

あまり変化は感じませんでした。
特に自分より年下の若い世代は「ですよね。そうだと思ってました。」といった感じの人が多かった。周りにトランスジェンダーの友達や知り合いがいるという人も少なからずいました。同世代や目上の人になると誤解や偏見が混ざった言動が比較的多くありましたが
、私を拒絶するというものではなくて、良かれと思って掛けてくれる声や単純な好奇心からの質問が私からすると見当外れだったという感じです。

 

・アライ
①職場の上司。
治療を始める際に1番信頼を置ける上司に報告。元々親しかったのですが、さらに私のことに興味を持ってくれて、沢山質問をしてくれました。その度に、分からないからもし気に触る質問だったら言ってね、と前置きしてくれました。彼が個人的にEDと付き合っていることもあって、私に親近感を感じると言っていました。
特に何かを頼んだわけではなかったのですが、会社との仲介役をやってくれました。
私がどうしたいのかを尊重してくれて、当事者じゃないので俺には分からないからというスタンスで支えてくれたのがとても嬉しかったです。

 

②元彼女のお母さん。
鍼灸と整体をされている方で、診てもらったところ、体も頭もガチガチで常に力んで生きているよ。人にどう見られるか や 親を傷付けたくない など いつまで他人の人生を生きるの?これじゃ疲れるよ。ちゃんと自分の声に耳を傾けなさい。と言ってもらいました。
治療を始めると決めた時、その方は唯一おめでとうと言ってくれました。その言葉は今でも自分の背中を押してくれています。

 

・ポジティブなこと
自分への反応に相手の人間性が現れる。

 

頭の硬い自分が、自分を受け入れるために否が応でも柔軟な考え方を持たざるを得ない。

 

魅力的な人達と出会えた。

 

全てを含めてこの自分に生まれなかったら、両親や兄弟、今まで出会ってきた大切な人達に出会うことはなかったし、今まで感じた苦しみも幸せも感じることは出来なかったので、質問の趣旨とはちょっと違うけど、自分に生まれたことが丸ごとポジティブだと思う。


・一言
自分の個人的な事を大勢の前で話すことに意味があるのかピンと来なかったし、人によっては態度が変わる事もあってそれは気まずいので、パネラーをやるか迷いました。だから、ルームメイトに聞いてみたんです。そしたら、「話を聞くことで初めて、どんのものか知ったし、じかに関わることで、特別なものじゃなく身近な存在に感じられた。だから当事者の声が聞ける機会は意味があることだと思う」とのことでした。
みなさんにとってこの企画がそんな機会になってくれたらなぁと思います。

 

 

普通って何?⑵

Q:両親の反応で役割的な違いを感じたことはあったか?

 

A:もちろん、考え方や性格など個人的な特性の違いはありましたけど、両親の反応で役割的な違いを感じたことはありません。

 

もしかしたら男親女親で反応が違うのかなと思ったことは1つだけありました。体に関わる問題に対してです。

 

治療や手術について、父親は積極的には関わろうとしない感じを受けました。ある程度の距離をとって、無事終わってくれることを待つようなスタンスとでもいうのでしょうか。逆に母親は治療や手術の体への負担をすごく心配して、かなり積極的に関わろうとしていた印象です。

 

Q:今まで嫌なことを言われたり、されたりしたことはあるか?

 

A:

男女(おとこおんな)と言われた。

 

小学校の時に、鼓笛行進をする際の衣装に関して、スカートをどうしても履きたくないから短パンを履きたいと言ったら、担任の先生に、今は分からないかもしれないけど、大人になったらどんなに嫌だってスカートを履かなければならないことがたくさんあるんだから、今からワガママ言ってると後で後悔するぞと言われた。

 

中学校で胸の膨らみを隠したくて夏でも長袖ジャージを着ていたら、夏らしい服装をしろと先生に怒られて、理由を言えと迫られた。

 

付き合っていた彼女に、彼女の家族や友達には付き合ってると知られたくないという態度をされた。

 

「女風呂に入れてラッキーだな。」

 

「自分の体を見れば、女の体が見られるんだからラッキーだな。」

 

「俺は偏見とかないからお前みたいなやつもいいと思うよ。だけど、自分の子供がそうだったら許さないな。お前も親になれば分かると思うけど、きっとお前の親は陰で泣いてるよ。」


Q:今、同じ境遇で悩んでいる人がいたらどう伝えたいか。


A:あなたが誰にも絶対話せないと思っているならそれはもったいない。無理に話すことはないけど、あなたが話そうと決めさえすれば、あなたの話を聞いて受け止めてくれる暖かい人達が世の中にはたくさんいるし、たった1人に話せるだけで、劇的に世界が変わるよ。

 

あなたが親のことや周囲の目を気にして一歩を踏み出すことを躊躇しているのなら、もう一度ちゃんと自分の心の声に耳を傾けて欲しい。あなたが感じていることを信じてあげてほしい。

 

トランスジェンダーと言っても十人十色なんだから、他のトランスジェンダーに右に倣えで物事を捉えたり、決めたりするのは危ないよ。あなた自身が望むことをしっかり見つめるのがいいよ。

 

Q:これから自分の人生をどう生きていきたいか。(家庭を作るにあたったりなど)

 

A:ただ自分の心が心地いいと思うように生きていきたい。

 

今の体のままだと戸籍が変えられず(日本の法律上)結婚は不可能だけど、体への負担を考えると、戸籍を変えられるってこと以外でその手術を受ける必要性を感じないので、戸籍を変える目的で手術するのは違うと思っている。

 

相手が出来て、子供を持つなど、どうしても籍を入れたいという方向性になったら、その時に考えればいいかなと思ってる。

 

子供に関しては今の時点では正直想像出来ない。自分が子供を持ちたいと思うことはすごく自分本位なことなんじゃないかという思いも少なからずある。

 

パートナーの気持ち・どうに子供を持つか・子供へのカミングアウト・子どもへのイジメなど心配なことも多い。

 

ただ、子どもの持つパワーは本当にスゴいので、全てを乗り越えて子供を持つ機会に恵まれたらいいなと昨日のパネルディスカッションを経て思えるようになった自分がいて驚いた。


今ある結婚というシステムだけに囚われずに、どうやったら自分の帰る場所を作れるか模索したい。

毎日の食卓を大切な人達とワイワイ囲んでいるというのが目指すイメージ。

 

 

  • 周りの目を気にし、失敗を恐れる自分から解き放たれる経験が出来た。

 

外国、しかも南半球の国々にいると、
いちいち自分の当たり前や常識と比べるのも馬鹿馬鹿しい程に何もかもが違った。

 

何をしていたって現地の彼らからしたら浮いているわけで、
どう頑張っても周りの常識に合わせるなんて出来ない。

 

だから、やりたい放題、自分が思うままに行動出来ることが多かった。
見知らぬ人に、片言の英語やスペイン語でドンドン話しかけた。
どうしていいかわからない時、とりあえず行動してみた。
自分にそんなことが出来るとは知らなかった。

 

  • 自分の持つ力に自分で限界を与えていたことに気付いた

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若者達は旅行会社が企画したオプショナルツアーではなく、自分達の企画で一時的に船から離れて旅をしてどこかの港でまた合流するという「離脱」というのを乗船前から計画しているらしかった。船の上で仲間を募ったり、飛行機や宿の手配をしたりという人達もいるようだった。

 

からしたら、ありえない。と思っていた。
知り合って日も浅い人と、異国の地で、安心できる船から離れて旅をするなんて、
おっかなすぎるじゃないか。戻れなかったらどうするんだ。と。

 

しかし、ティンクルの強い気持ちに押され、
初めての海外旅行だというティンクルとの、イグアスの滝 離脱旅 は行われた!!!
船の上で飛行機を手配している時から、
なんだか現実味のない気持ちだった。

 

もう、全てが分からなすぎて、不安になることすら追いつかなかったのかもしれない(笑)宿と帰りの飛行機は行きあたりばったりでとるということで行きの飛行機だけおさえて、アルゼンチンはブエノスアイレスで船を離れた。
色々あったけど、ブラジルとアルゼンチンを二人の力で旅できた。

 

なんだかんだ何とかなってしまった。

 

チリ最南端の街ウシュアイアで無事船に合流した時に、安心よりも「退屈な船に戻りたくない」という気持ちの方が強かったことは、嬉しい驚きだった。

 

その後、また男3人女4人で(男はティンクルとムササビだけど、女の子はそれまで船の上でもほとんど接したことのない人達! 笑)ペルーのマチュピチュボリビアのウユニ塩湖を目指す離脱ツアーにも出掛けた。最後には解散して男3人でペルーのチチカカ湖まで旅した。

 

 

この二つの離脱の経験は私に本当に大切な感覚を与えてくれた。
私は私が思っている以上に何とかする力を持っている。

自分が自分に設定している限界は全く当てにならない。

エイっとやってみると、全く想像出来ない展開が待っている。

 

そして、そんな時間を過ごしている時は限りなくワクワクする。もちろんドキドキもするけれど。

 

  • 人から愛を受け取ることが出来た

 

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南アフリカでは、旧黒人居住区の一つSOWETO を訪れるオプショナルツアーをとった。
アパルトヘイトの名残を色濃く残す地域で、一般的な旅行では中々訪れられない地域。と勧められた。

 

その中で現地の家庭に二泊三日でホームステイをするという旅程があった。
私は一人、シングルマザーのルンガとその妹フェフェ、男の子2人リンドとンダンドという4人家族にお世話になった。

 

彼らの日常会話はズールー語、だけど公用語は英語の為、英語も話せる。
私のために、私がいる所では英語で会話をしてくれていた。
必死になって聞いたり話したりしていたら、何だか結構会話が出来て、「あれ、自分て英語出来るのかも」なんて思ってしまった。今はその感覚、失いつつあるけど。どこかで追い込まれればどうにかなると思ってる節がある。

 

私は彼らの親戚や友達にたくさん紹介された。みんな私を家族として歓迎してくれ握手やハグで迎え入れてくれた。そのうちの一人、ルンガのお母さんに会った時、彼女はただ私を懐に入れ包み込んで抱きしめてくれた。

初対面のふくよかな黒人のおばさんに子供のように抱きしめられ、相手のことを何も知らなくても、心を許して身を委ねている自分に驚いた。

 

底なしの愛で自分の存在を丸ごと受け止められているような、ものすごい安心感だった。

 

私はこの家族との時間で、
肌を通して伝わる愛を実感として学んだ。

 

それから様々な困難の中で生きてきた彼らが、それでも人を区別することなく心を開いて受け入れられることに、
人間の持つ底知れない可能性を感じた。

 

たぶん、人との間に壁を作りたがる自分にとって、(幼少期を除き)人生初のハグだったのではなかろうか。その後、船でも地上でも、チャンスを見つけては握手やハグをしている自分がいる。
いつも少し尻込みするのだけれど(笑)

 

 

 

世界一周の中で、

何かに囚われず、
軽やかに、
気の向くままにいられる瞬間があった。

 

海はどこまでも青く、空はどこまでも高く、
大地はどこまでも広く、人はどこまでも優しく、感じられる瞬間があった。

 

どこにいてもそう感じられる自分でありたい。そう気付いた。


終わってみると、コレまでほとんど友達のいなかった自分に、たくさんの友達が出来ていた。(正直に言うと、友達と言って「え?」と思われると傷付くから、知り合いと呼びたいところだけど)日本中に。少し世界にも。多種多様な特徴を持つ。

 

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あ、そう考えたら、揺るがせたようだ価値観。

 

 

 

現在のパートナー茉優との急接近

 

 

 

降りてからは、仕事辞めた直後みたいな心境に戻った。

 

徐々に船の仲間たちは日常に戻っているようだったけど、
私はどうしていいかまた分からなかった。
取り残されていくような気分だった。

 

自覚できたのは、、、

 

働きたくない。
したくないことをやりたくない。
あの低い空の下に戻りたくない。

 

だった。

 

それだけが私の中に頑固に残った。
もう一人の自分はただの逃げだ、甘えだと、散々攻撃してきていたけれど。

 

 


そんな感じでまた行き止まりにハマっていたところ、下船前からの約束で、22歳の大学生茉優が家に遊びに来た(ピースボートで出会い、何回かだけ深い話をしたことがあるような関係だった)。

群馬にいる別の友達を尋ねる予定があるから、その流れで会いに来たいとのことだった。

 

一人でいたら坂道を怒涛の如く転がって行くところだったから、正直すごくありがたかった。

 

 

…そこで急展開。

 

なんだかあれよあれよという間に、どうやら自分は茉優のことを特別に思っているかもしれないと、告白する展開に。

 

いつの間に好きになっていたんだ自分!?好きなのか?!

 

茉優が来た最初の晩、
横に並べた布団に入って、もしかしたら手が伸びてくるかもしれないと手を差し伸べて待っている自分がいた。。

 

そしたらきた!

 

コレは相手に好意があるってことでしょ!!と思った。

 

ということで、その後ヒッチハイクで新潟の実家に帰るという茉優を車で送った。
そのまま茉優の実家に3日滞在。
初めて手を繋いで外を歩いたし、キスもセックスもしてしまった。

 

よく考えれば人前で女の子と手を繋いで歩くなんて人生初だったな。

 

治療を始めてから初めての恋愛。
治療を始めた頃には誰かとそういう関係になれる気がしないと思っていたけど、まさかこんなにもすんなりと受け入れてもらえるとは。。

 

この時はまだ私の女性器の鍵は掛けたままだったけど。


本当に予想外。

 

12こも年下だよ?

 

容姿、全然タイプじゃないよ?

 

そんな展開の中にいても、なっかなか自分の気持ちを認められない自分がいた。

 

 

 

二人の中で、付き合うとか、彼氏彼女とか、そういうのはやめようと話し合った。
そういうラベルを貼った途端に心地いい関係性から離れていくというのが共通した認識だったから。
お互いがそれぞれ自分の真ん中を生きて、その結果隣を歩けたらいいよねっというのを目指そうと話した。

 

私自身としては、これまでの彼女(3人)との関係の中で、彼女との関係を自分の存在の土台にしてしまうことで、彼女も自分も苦しませてきたという反省があった。彼女の存在があることで、自分らしくあれるという風に、完全に依存していた。

 

それに気付けたのは最後の彼女との関係解消のとき。

 

転勤についてきてほしいと言った時、「私は子供を持つことが一番の望みだからあなたとの将来は考えられない」と言われた。それを言っている彼女もすごく辛そうだった。泣いてたんだっけな。
だけど彼女から関係を断つことは出来ないと言われたので、
苦しみのあまり、自分から離れる決意をしたのだった。
恋愛関係がなくなっても、大切な存在だから、心を開ける友達として関わり続けたいと言われていたのだけれど、
それはあまりにも辛かった為、一旦完全に連絡を絶った。

その時に大きな痛みを味わったと同時に、何だか何かから解き放たれたような、どこか清々しい感じがしたのである。

 

自分がただ自分として立つこと。
そこには真の自由があった。
誰かとの関係を土台に自分が存在するのではない。

ただただ自分として存在する。それがごく自然で当たり前の形だと知った。
誰かとの関係はその上で作られるものなんだ。

 

その教訓から、恋愛に呑まれて自分で立つというところから離れてしまうのが怖かった。

 

まだまだ全くと言っていいほど自分の真ん中を自覚していない段階だから、恋愛にグイグイ引っ張られていく危険性が大だと分かっていた。

 

そんな感じで、茉優とのスペシャルな関係は始まったのだった。

 

確かに二人の間に友達以上の特別な関係はあるけれども、それは二人の何をも縛ったりしない。そういうこと。

 

それは執着も嫉妬心も人並みに持っている自分にとっては痛みを伴う選択でもあったけど、自ら選んだ。

 

 

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この当時の茉優の写真で、

私が惹かれる数少ない一枚。

 

 

目指せ四畑さんち〜屋久

 


ピースボートでの最初の寄港地上海で行動を共にし、驚くほど仲良くなったかなえちゃん20代後半・ウォーリー20代前半・ピラフ20代前半・四畑さん70代前半?・自分33。
(よく考えるとみんな女の子?だな。)


下船後に鹿児島に住む四畑さんをみんなで訪ねようと船の上で盛り上がっていた。

それを口先だけで終わらせず、実行に移すことにした。ティンクルも混ぜて。

 

まずはティンクルと飛行機で福岡に飛び、ウォーリーと合流。福岡に暮らすムササビと再会。ムササビとお別れし、レンタカーを借りて、佐賀のかなえちゃんの家を目指し、そこでかなえちゃんとピラフと合流。みんなでかなえちゃんの家で雑魚寝。そのまま車で四畑さんの家を目指した。

 

途中戦争の資料館やらなんやら、ウォーリーのライフワークにみんなでくっついていった。

 

途中泊まったゲストハウスでは、道端で抜いてきたのびるを入れてかなえちゃんが鍋を作ってくれた。

 

みんなで囲む食卓のその空気感が私の暮らしの理想形に近いなぁと思ったりして。

 

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最後はみんなで鹿児島の四畑さんの家で四畑さんの手料理と四畑さん自身を(笑)満喫した。

 

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そこからティンクルと2人で屋久島へ。と思ったらムササビも行けるとのことで急遽福岡から来てくれた。
今年はよく船に乗るなぁとフェリーで屋久島へ。

 

強行スケジュールで宮之浦岳に登った。初めての山小屋泊。2人とも普通の靴で(笑)

 

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バス停を間違えて乗らなければならないバスを逃して、タクシーやレンタカーもどこも空きがなかった。追い込まれて人生初のヒッチハイクに挑戦。

1時間以上やってた気がするが、うまくいかず。

ついには一度通り過ぎていったフランス人が心配して様子を見に来てくれ、結局登山口まで乗せてくれた。彼女がいなければ登山を断念しなければならないところだった。

 

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船を降りて、乗る前の自分に戻りつつあったけど、本当にやってやれないことはない、と
また少し自分の持つ力を思い出した。


屋久島で1つすごく嬉しい出来事があった。

 

治療を始めてから
温泉などの公衆浴場に行けなくなっていたのだけど、

 

干潮の時だけ現れる海中温泉にティンクルが誘ってくれた。

 

たまたま干潮になるのが夜遅くで、ライトもなく真っ暗だったから、人目を気にしてしまう自分を乗り越えてティンクルと温泉に入ることが出来たのだ!

 

入れたことも嬉しかったけれども、自分と入ろうと思ってくれたこと、腫れ物に触るようにではなくごく自然に関わってくれたことが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
ありがとう、ティンクル!

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函館の茉優のもとへ


さて、また何もなくなってしまった。
どこに一歩を出すのだ…

 

恒例の行き止まり。

もうよく思い出せないけど、負のループに落ちてたと思う、どうせ。

 

だけど、この時は実は1つやりたいことがあった。それは函館に暮らす茉優に会いに行くこと。というよりは、茉優と過ごす時間を持つこと。

 

ただのぼせて会いたがっていただけかもしれないが、
私の中では、

 

茉優と関わることで、
『自分がどう感じているか』にきちんと向き合えるようになってきているという実感があった。

頭で雁字搦めにされて、何かを感じていても感じていないことにしてきたということに、
茉優と接することで気付かされた。

 

具体的な形としてどう生きて行くのかは見当がつかなかったけれども、自分の頭の声ではなく心の声に誠実になっていくという方向、そっちに可能性がある、
ということには気付き始めていた。

 

 

好きな子がいるからという理由だけで函館に行く。仕事をしていて、ちょっと遊びに行くとかなら分かるけど。
自分の人生がままなっていないのにそんなことしている場合か?!
茉優は大学生だけど、こっちは33歳だよ?!?!
これはまさしく依存の方向じゃないか!

 

という猛烈なバッシングが、自分から自分に向けられていた。

 

 

でも他に踏み出す一歩は見つけられなかった。
散々悩んだ挙句、私は車で函館に向かった。
(節約のため、下道で)

函館に行ってから少しして書いたメモがある。

 

iPhoneメモ

 

【5/10】
函館に来て10日余り。
毎日毎日茉優とぶつかることの連続。
なぜなら自分の心に正直に、
例えそれが自分や相手を傷付けることだったとしても、
逃げずに向き合い、伝え合っているから。
正直、嫌になったり、逃げ出したくなったり、
ここにいる意味を疑い出したり、
様々なマイナスの感情も起こりまくってる。

ただ、苦しくて苦しくてどうしようもない時でも、函館に来ると決めた時の心の声を振り返ってみると、どれだけ傷付いたとしても、心が望む道はコレなんだと再確認出来ている。
出発前に瞑想をして、「本当に函館に行きたいの?」と自問した時、食い気味に、でも囁き声で、でも3回、行きたい行きたい行きたいと帰ってきた声を思い出す。

その結果、今までに感じたことのないような幸せな感覚を得られたことが何度かあった。
ニヤニヤが止まらないような感じ、相手が愛しくて涙が出るような感じ、外で人の目を気にしながらも抱きあおうと思える感じ、
その実感が自分の決断を信じ抜く手助けをしてくれそうだ、この先。

周りの声や、自分の固定観念に振り回されて、
何度もフラついて迷った末の、
自分の心の声を信じての決断だからこそ、
思った以上に強い土台になっているような気がする。茉優の言葉で、「決断とは決めて断つこと」というのがあったけど、
自分の心の声を聞き続けると決めて、
その声を疑うことを断つことを選んだということだ、きっと。

振り返れば、何をするにしても、特に新しいことをするとき、新しい人と関わる時、物凄くストレスを感じていた。

それは…
その場の人達やそこの空気に無理やり自分を合わせなければならないと感じていたから。
自分の中に起こる不都合な感情を相手に伝えられないことが死ぬほど窮屈だったから。
嫌なことを嫌と言えないことが苦しくて仕方なかったから。

全ては、そのままの自分や自然と起こる自分の感情を相手には受け入れて貰えないと思い込んでいるから。
人が全て敵に感じられ、少しでもボロを出せば、深く傷付けられると信じてしまっているから。
そして、その反動が、心を許した最も大切な人に出てしまうという、最も自分がシンドイ循環が起こってしまっていた。

そんな自分を自分で咎めていたけれども、それも辛かった。
ここ最近腑に落ちた。
醜い自分ではあったけど、それもまた自分から出たSOSだったんだ!
茉優がそう言葉にしてくれて、涙が出た。

自分のこころを大切にしよう。
自分の体を大切にしよう。
そうすれば、
心から愛する人を同じように大切にできるから。

自分の心の声を周りに合わせて無視するのはもうやめよう!!!

函館に来られた自分、おめでとう!
茉優を選べた自分おめでとう!

もっと欲しかった背も
短い手足も
デッカい頭も
出たお腹も
不自然な乳首も
ちんこのない股間
みーーーんなありがとう!
まだまだ心からそう思える時間は少ないけど、お風呂で毎日そう声をかけてあげよう。
今までいじめてばかりいてごめんね、自分。
しんどかったよね。

今までそばにいてくれた大切な人達、
自分の中にある愛をきちんと届けられてなくて、ごめんね。
本当は1番傷付けたくないあなたを傷付けてしまうことしかできない自分が、苦しくてたまらなかったんだ。
それでも側にい続けてくれてありがとう。
本当に本当にありがとう。”

 


そんな感じだった。

ということで、函館で茉優と過ごした。
本当に2人で心の修行をしているような毎日だった。。

 

一つだけ紹介してみる。

 

iPhoneメモ

 

5/12

 

愛する人とのエッチで満たされた気持ちになれないことがめちゃ多いのはなぜ?
相手とコミュニケーションを取っている感覚が感じられないから?
それはなぜ?
自分の体がポイント?
自分の頭がポイント?
相手の頭がポイント?相手は満たされたと感じているの??

心が嫌がっているのは確実!
相手がこの問題を軽視したり、蔑ろにしている感じにさらに傷付いている。
そこが分かっているのは進歩!!!


性的なことと愛すること。
愛することの1つの形で性的なことが生まれることはある。
だけど、性的なことをすることが愛することではない。
気持ちの通わないセックスに傷付いているという話し合いの最後に、
キスで気持ちを表そうとしてきた茉優に、
嫌な感情が生まれた。

何も分かっていない。
何も分かっていない。

心がまた傷付いている。

 

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 ニセコで自給自足的に生きる家族と暮らす

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函館に行く際に、茉優に依存することは避けたいと、色々調べていた中で、
自給自足を目指しているご夫婦のホームページを見つけ、さまざまな流れの中で、
6月下旬から10月下旬頃まで茉優の家を出てそこでwwoofのような暮らしをすることになる。

 

振り返れば、茉優から離れる必要があった。

 

iPhoneメモ

5/14
茉優のところに来て約2週間。
体と心が疲れていることに気付いた。
自分の心の声を大切にする。
自分の体を大切にする。
この2つをテーマにしているはずだったのに…

知らず知らず「すべき」や「しなきゃ」のプレッシャーを作り出していたのかもしれない。

分かりやすいぶつかりや、気付きやすい心の動きには、徐々に向き合えるようになってきている実感があるのだけれど、

なんとなく過ごしている中で
ちょっとずつちょっとずつ生まれてきていた
居心地の悪さには気付くことすら出来ていなかったのかもしれない。

とりあえず分かっているのは、、
1人の時間がとても大切。
何もしたくない時に何もしないでいたい。

これは茉優の問題ではなく、
自分の中の問題。
そこだけは履き違えないように、
だけど心地よく穏やかな1日を重ねられるように、
自分の変化に注目していきたい。

 

 

ネット検索のキーワードは、
自然農、自給自足、キャンプファイヤー、ヨガ、瞑想、DIY、自然菜食・・・だったと思う。

 

もともと何となく惹かれる言葉たちだったみたいだけど、


ピースボートでの出会いや経験で、その惹かれる感覚は自覚できるレベルまで膨らんだようだ。

 

それから、働きたくないという気持ち。
コレをどうにかするにはお金に依存せず豊かに暮らせるようになることはとても大切な気がした。


40代のご夫婦(旅好きのインド好きで深い精神性を持ったような独特の目をしていたな)と3.4.5歳のパワフルで底抜けに自由な3姉妹の5人家族。途中出たり入ったりはあったけれども私のような手伝い(笑)が計3人。
全部で8人での生活だった。

 

彼らはお米や野菜はできる範囲で自給して、お祭りシーズンに奥さんが手作り褌やマクロビケーキなどを売って稼ぎ、冬場には旦那さんが働きに出て稼ぐ、というような暮らし方をしていた。

 

日々していたことは。
まず、毎朝の瞑想とヨガ。

瞑想は途中からサボりがちになったけど、ヨガは続けた。
長年イジメ続けてきた体をどうにか自然体でリラックスした状態に戻していきたいと強く思っていたからだろうか。

 

日中は畑や田んぼ、滞在中に納屋の建築があった(基礎から手作り!)のでその手伝い、私道の補修、子供の遊び相手、五右衛門風呂焚き、薪割り、そんな感じ。

 

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本当に自然の深いところで、

夏の緑と秋の紅葉の鮮やかな彩り、
どこまでも青い空とのコントラスト、
力強い太陽の存在、
満点の星空、
薪を燃やしたあたたかな炎やその匂い、
静けさの中で聞こえる風の音や鳥の声、

そんな中で日々を過ごせた事は本当に幸せだった。

 

忘れてならないのが奧さんの手料理。
肉なしの生活だったわけだけど、この上ないほど大満足だった。薪で作っていることでさらなる美味しさが出ていたのではないか。

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彼ら家族は、愛の人達だった。
自分の中で全てが穏やかに過ぎていった訳ではないけれども、
こんなに受け取りベタな私でも
しっかりと受け取れたほど、
彼らは人を愛する力を持った人達だった。

 

 

 

ヴィパッサナー瞑想との出会い

 

ニセコ滞在中に、実家でピースボートの報告会(親戚や家族にね)があり、1度帰らなければならなくなったタイミングで、

 

一緒に家族のお手伝いをしていたNさんがヴィパッサナー瞑想10日間コース(千葉)に参加すると知り、

どうせ関東に行くなら勿体ないからと、自分も申し込んだら、キャンセル待にも関わらずスグに参加可の返信が来た。

 

ピースボートでその存在を知り、いつかは行ってみたいと思ってはいたものの、こんな形で行くことになるとは。といった感じ。


結果、この出来事は私にとってとてつもなく大きなものになった。

 

私は自分の中を平和にして、全てのモノや人と調和して生きたい。

 

私は私の女性性の部分を受け入れない限り、苦しみから解放されない。

 

猛烈な痛みと向き合う中で、実感として気付いた。

 

自分の苦しみに気付き泣いた。
苦しみのあまり周りの人達を傷付けていたことに気付き泣いた。
苦しみから解放される道があると知れて嬉しくて泣いた。

 

思い描く形では無かったけれど、
「こうなりたい」ということを見つけた。
それが出来れば後は何をしていてもいいんじゃないかと思った。
毎日の瞑想だけは、何があっても続けて行こう。そう思えた。

 

瞑想合宿の後、北海道に向かう車の中で、茉優から送られてきた一つのボイスメモ。
私の中の何かに触れた。

【ボイスメモ】

 https://youtu.be/pevWcUGeHLQ

 

 

その後しばらくして書いたFacebook投稿がコレ。

https://www.facebook.com/100006023828466/posts/716894481854673?sfns=mo


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瞑想合宿直前、

迷いに迷った挙句男性ホルモンの注射を打った直後から体調を崩した…

 

女性性の覚醒?

 

その後ニセコでの生活に戻ったある日、
食器を洗っていると、
何とも不思議な体験をした。

横にはNさんがいて二人で洗っていたのだけど、
二人の足元にはそれぞれ子供がまとわりついていた。

 

私とNさんの間に生まれた子供が私達の足元にまとわりついている。
という感覚になったのだ。

 

それと同時に、
今まで感じたことのない自分の底から溢れ出るような愛(主に子供に向けられてはいるが、大人や自然にも向けられているような)に圧倒された。もしかしたらコレは母性と呼ばれるモノなのか???と思った。

 

そうなっている時、私は大人になってから感じたことのないような深い安心感に包まれて、泣き出しそうな位の幸せを感じた。窓の外に見える枯れかかった木を見てすら、幸せを感じていたのである。

 

また、自分にとってのNさんの存在がやたら意味のあるものに感じられた。

彼は前年も家族のお手伝いをしていたのだけれど、ニセコを出た後でインド行きを空港で断念したということがあったらしい。

それがなければ出会うことがなかった。

 

彼がヴィパッサナー瞑想に行かなければ自分が行くこともなかった。

 

彼がしてくれたタイ式マッサージがなかったら体と心の繋がりや覆っている鎧に気付くことも緩めることも難しかった。
と。

 

 

さらには、
今までの性に関するエピソードが走馬灯のように流れた。
ただ、捉え方が全て今までと違った。

様々な体験を私は自分の女性性の否定に変換してきたけれども、それは盛大な勘違いなのかもしれない。。。
整形をしたいという発想と同じなのではないか。
そんな疑いが生まれた。

 

その感覚の後、しばらくNさんとセックスがしてみたいというある種の性欲が消えなかった。

 

そこに恋愛感情があるようには思えないのに。初めて膣で感じたいような感覚をもった。いつもエロ動画は男性目線で見ていたけれども、初めて女性目線で見て反応する自分がいた。

 

FTMと男性のセックス動画に興奮出来た。

 


自分の中に生まれたこの衝撃の変化に私は大いに戸惑いビビっていた。

 

男とセックスがしたいなんて、死んでも認めたくない。

 

自分が頑なに守り続けてきた何かが脅やかされる。

 

私が男とセックスをするなんて気持ち悪い。

 

茉優との関係はどうなってしまうんだ???

 

馬鹿げた妄想だとも思いたかった。


何度か思い切ってNさんに打ち明けてみようと思ったが出来なかった。迷った挙句、茉優に相談してみると、

茉優からは意外な言葉が帰ってきた。
「それすごくいいじゃん!Nさんとセックスしてみなよ!」
どうやらそこに嫉妬心や嫌な感情は生まれないらしいのだ。
その辺は未だに理解不能。。。。

 


Nさんを訪ねて奥尻島

 


ニセコを出た後、北海道を去る前に、奥尻島のNさんの実家を訪れた。
チャンスがあったら行きたいという話をしていたのだが、勇気を持って遠慮せずに行くことにした。

 

iPhoneメモ

 

‘11/3これから奥尻島

何かを新しく始めるとき

よく感じるのは

不安や憂鬱さ
もしかすると おそれ

どんなことを思い描くのか

選べるのに

いつもそれらをチョイスする

そうしておけば

何が起こっても

『ほらね、、』って済ませることが出来るから

そんな私が出会う人は冷たい目をしていて
面白味もない

そんな私が出会う出来事はくすんだ色をしている

もうそろそろ辞めにしたらいいんじゃない??
自分で自分の足を引っ張るの。

自由に
素敵な世界を見させてあげたらいいじゃん。

思うままに色鮮やかな世界を味わわせてあげたらいいじゃん。

その分傷付くことになったって、大丈夫だよ。もう。

 

どこかでこのままにしてしまったら、
大きな何かを失うことになりそうという危機感があったように思う。

 

Nさんの家で、まるで実家のように寛いで過ごした。

どう思われるか気にしまくる自分にとってソレは快挙だった。

お父さんともお母さんとも仲良くなれ、毎日お母さんのご馳走を頂いた。

 

コレは秘密にしておきたかったけれど、

Nさんとの間に子供をもうけて、
お母さんの食堂を手伝いながら奥尻島で暮らす、っていうのは意外と素敵じゃないか?
自分の両親も彼の両親も喜びそうじゃないか。
なんてことを考えたりもした。そこに茉優も混ざったらな、なんて思ったりして。

 

2週間近く滞在してしまった。
ヴィパッサナー瞑想セルフ3日間コースをしたり、馬に会いに行ったり、
海を眺める温泉に行って二人で男風呂に入ったりもした。
お父さんからは正月も奥尻島で過ごせと言ってもらった。
だけど、ノーマルタイヤの車では雪が降る前に北海道を出る必要があったので、奥尻島を後にした。

 

 

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この奥尻滞在中に、ホルモン注射を辞めてから初めての生理を迎えた。
正直に体も心も落ちている状況を伝えると、Nさんは気遣ってくれながら、私をただただ放っておいてくれた。

 

結局何も伝えられなかったので、
手紙を置いてきた。

 

iPhoneメモ(手紙の下書き)


Nさんへ

まずは、出会えて本当によかったです。
なんか何者にもならず、
ただ自分のままでいられる感じがすごく気に入ってます。

おかげで奥尻島と縁が出来て、お母さんともお父さんとも出会うことができたし。

今回の奥尻島滞在は自分にとってすごく重要で大切な時間になりました。
まるで我が家のように寛がせてもらって、
好きなように過ごさせてもらって、
本当にありがとうございました。
やっぱり3日間コースも含めて、
Nさんと毎日瞑想とヨガが出来たことが何よりもよかったです。
Nさんの存在と言葉、それからマッサージにすごく助けられましたよ。ありがとう。

 

最後に1つぶっ込んでみます。

実は、
ニセコでのある瞬間から、
なんとなーーーく自分の中で、
『Nさんとの間にこどもをもつかもしれない→セックスをする時がくるかもしれない』ってバシャールもビックリの予感が生まれてて、消せずにいました。

今の状況から全く結びつかなくて、
自分でも突拍子なさすぎて全くついていけてないんですけど、
なんか予感がしてるって事実だけは伝えたいなという思いがあって、
滞在中ずっと葛藤してました(笑)

いやぁ、こんなこと言って次会うのが気まずくなるのは嫌なんですけど、ちょっと面白いし伝えちゃいます(笑)


と、いうことで、
まとめづらいですが、


また会えることを楽しみにしてます。
きっと奥尻島にはまた来るような気がしてます。

今日も明日も何にも囚われず、
素敵な『今』を過ごして行きましょう!

最後の夜にNさんATから貰った言葉を大切にします。

 

後でおもしろい とメッセージが来た。
果たして、今後どう転がるのか。
全く予想がつかない。

 

Nさんからの言葉。

 

iPhoneメモ

 

11/14
最後の夜、瞑想後にNさんからもらった言葉。

インヨガと同じように、

今まで頑張って身に付けてきた知識や筋肉、男性的な体、、
そういうのはもう充分だから、

土の中から輝ける仏像を掘り出すように、
自分の中の輝きを取り出すべく、

泥や土や余計なものを
取り除いて行けばいいんじゃないかな。

その過程にもちろん悪いものを取り出す痛みは伴うだろうけど。

何かをつけていくのではなく、
脱あーまーどで。

そんな感じ

 

今後踏み出す一歩がどんなものであっても、
この方向性だけは見失わないようにしたいと思っている。

 

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出産て面白そうかも...


もう一つ、ニセコにいる間に私の中に出産に対するイメージに変化があった。

 

奧さんは子供3人を全員自宅で旦那さんのサポートのもと産んでいた。

 

彼女の周りにいる女性たちの中にもそうしている人がとても多く、彼女たちの中では比較的当たり前のこととなっているようだった。

 

奧さんや旦那さん、周囲の女性がする出産の話は、これまで私が触れてきたその種の話とは全く違うものだった。

 

 

「とにかく気持ちいい。」

「出来るならもっと経験したい。」

「すごくおもしろい。」

 

そんな風に話をする彼女たちの顔は本当に生き生きしていて、輝いていた。

 

そんな中で私は「せっかく産める体を持っているなら、そんな面白いことを経験してみたい」

 

 

自分の妊婦姿や出産イメージには変わらず嫌悪感があるものの、そんな風に思うようになっていた。

 

 

 

女性性と茉優との関係

 


ニセコから出て茉優のもとへ向かう際、
私の中では、

 

「もしかしたら茉優への気持ちは以前のものとは全く違うものになっていて、
会ってみたら、
恋だの愛だのと言っていたことが、
全て勘違いだったと感じるのではないか。」

 

そんな可能性すらあると思っていた。

 

 

 

 

たた、結果としては、関係は依然としてスペシャルだった。

というよりはなぜかグレードアップしていた。やはり想像というのは当てにならないと痛感。 

 

私の女性性をも丸ごと愛されていると感じた。初めて私の膣を茉優に明け渡した。
なぜか涙が流れた。
どうしても体が強張り、ブロックを作ろうとする自分を茉優は優しく導いてくれた。
人生で初めての体験だった。

 

その後、

朝ごはんを一緒に食べているだけで涙するような、心通い合う日々を経て書いたのがコレ。

 

iPhoneメモ

 

10/29
茉優のいうパートナーシップ。

性別や生活の基盤を共にするという概念から離れた、より精神的なパートナーシップ。と言ってたかな。
ようやくイメージが湧くようになってきたかも。


相手からの見返りを求めないセックスを、
ここ最近茉優が急激に出来るようになってきていて、
(自分てなんてラッキー)
そんなことも含めて、
心を交わすという感覚を持てる機会が格段に増えてきたように思うこの頃。

お互いに収縮の状態に陥って、傷つけ合うことも相変わらず沢山あるけど、
そこから抜け出すのも少しずつ上手になってきたような気がする。

何より。
2人で歩んできた道のりが確実に2人の心地よさに繋がってるんだと思えていること。
事態が最悪でも、結局どこを向きたいんだという羅針盤が同じであると知っている心強さ。
とどまることなく変化していく互いや関係性の色だけど、それをそのまま味わえると、互いが限りなく自由でありながら、暖かく強く結びつけるんだという実感。

これらが本当に大切な宝物だと胸にジワリとくる。

そんな今、瞑想中、一般社会でいうプロポーズをしたいという感覚になった。
ただ、その含む意味合いはおそらく全く違っていて、この文は誰にも理解できないかもしれない(笑)


今自分の中にある概念でなんとか表現するなら、

あなたとあなたがイメージするパートナーでありたい。

そんな感じ。

 

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次なる一歩


『女性としてインドで過ごし、自分の性別やそれ以外に関わる囚われを揺さぶる。そしてその過程を映像に残す。』

 

という馬鹿げた閃は、
瞑想中に生まれた。

 

(女性としてというのは今は嫌悪がまさっていて、とりあえずは自分らしい姿で行こうかなと思っているけど。気が向いたら向こうでシフトチェンジする感じで。)

 

自分で自分を縛っている何かをもっともっと取り去って行きたい。

 

今辛うじてイメージできる結末は、
茉優の手を握りながら出産するというもの。
まあそれも当てにならないが。



仕事を辞めてから今までの自分に起こったのは全く予想だにしない突拍子もないストーリーだった。

ああ、これまでが映像に残っていたらめちゃめちゃ面白いのになと思った。

 

なんだか分からないけど、流れに抗わずにいたら、この先もっともっと面白い展開に出会える気がしている。

 

大した根拠もないけど閃に従って動いてみることの先に想像の遥かに及ばない何かが。

 

それから、コレは二次的な動機だけど。性に関して苦しんでいる人に何かしらのきっかけやインスピレーションを与えられるのではなかろうか。

 

もしかしたら性別に限らず、今を苦しんでいる

誰かに一筋の光を感じてもらうことが出来るのではなかろうか。

 

そんなことを思っている。
何が起こるか知らないくせに。


そんな思いで、
しばらく葛藤した挙句、
一笑に付されることを覚悟して、
ティンクル(映画監督になりたい?)に話を持ちかけてみた。
自分自身も覚悟がついていない中で。

そうしたらティンクルが乗って来てくれた。

その結果、今こうしてココにいる。

 

 

 

当初の閃きから流れが変わったこともある。
大学を辞めた茉優もインドに行くことになった。
現地でどこまで行動を共にするのかは分からないけれど、行きの飛行機と帰りの飛行機は同じ日付だ。

 

わたしの真ん中を生きるために茉優に流されたくないと、事あるごとに距離を取ってきたけれども、ここに来て感覚に変化が生まれた。

 

わたしの真ん中を生きる上で茉優との関わりが大きな意味を持っている気がする。
お互いがどう変化するとしても、
関係がどう変化するとしても、

自分の真ん中を歩くことと、
茉優と向き合い続けることは、
同じ道の上にあるような気がしている。

 

勘違いだったら、気付いた時に改めればいいや。

 

 


お願い


インドの往復チケットはとった。
あとは未定。

こんなふざけた話である。
何も起こらない可能性だって大いにある。
面白い映像がとれるとも限らない。
私は私自身のために毎日を過ごす。

 

ティンクルは撮った映像を小さな作品として編集し、出来次第YouTubeで配信してくれる。予定。

 

茉優と私は何らかの形(たぶんブログ)で、自分達の中で起こっていることを表現しようと思っている。

 

それらは茉優の友達が作ってくれるH Pにまとめるつもり。

 

そして、

最終的に1つの大きな作品にできたらな、と思う。

 

 

なんだか分からないけど興味あると思っていただけたら、是非覗いてみて欲しい。

 

必要に迫られた時、金銭的に協力して!というのもあるけれども、

 

単純に協力者が増えたら心強いなと思う。

 

私達は単なるド素人で、

本当の本当に何のチカラもないから。

 

 

関わる人間の数が増えれば増えるだけ、
閃く頭(心か?)の数が増えることになる。

より面白く転がる気がする。。。

 

お力をお貸しください。

 

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茉優と私のお母さん、涙の別れ。